ルカ マケドニア人

西暦65年,ローマでのことです。ルカは,使徒パウロの友とみなされるのは危険だと知っていました。パウロは当時,信仰のゆえに裁判にかけられており,死刑宣告を受けると思われていたからです。しかし,そのように緊迫した状況で,ルカはパウロと共にいました。ルカだけが共にいたのです。―テモテ第二 4:6,11。, ルカという名前は,聖書を読む人たちによく知られています。ルカの著わした福音書にその名が付されているからです。ルカはパウロと一緒に長距離を旅しました。パウロはルカのことを「愛する医者」また「同労者」と呼んでいます。(コロサイ 4:14。フィレモン 24)聖書中にルカに関する情報はほとんどなく,名前も3回しか出てきません。しかし,ルカについての調査から分かる事柄に注目するなら,あなたもパウロと同じようにこの忠実なクリスチャンの働きを高く評価されるでしょう。, ルカの福音書と「使徒たちの活動」の書は,テオフィロという人物にあてて書かれています。そのことは,神の霊感によるこれらの書がどちらもルカによってまとめられたことを示唆しています。(ルカ 1:3。使徒 1:1)ルカはイエス・キリストの宣教奉仕を実際に見たとは言っていません。目撃証人たちから情報を得て,『すべてのことについて始めから正確にそのあとをたどった』,と述べています。(ルカ 1:1-3)ですから,ルカがキリストの追随者になったのは,西暦33年のペンテコステより後のことだったと思われます。, ルカの出身地はシリアのアンティオキアである,と考える人たちがいます。それらの人が注目している点の一つは,「使徒たちの活動」の中でアンティオキアにおける出来事が詳述されていることで,もう一つは,7人の「確かな男子」の一人について「アンティオキアの改宗者」と記されているのに対し,他の6人についてはどの都市の者か明示されていないことです。とはいえ,ルカは生まれ故郷がアンティオキアだったのでこの都市に特別な関心を示していた,と断定できるわけではありません。―使徒 6:3-6。, 「使徒たちの活動」にルカの名前は出てきませんが,ところどころで「わたしたち」という代名詞が用いられていることから,この書にある出来事の幾つかにルカ自身も直接かかわっていたことが分かります。ルカは,パウロとその仲間たちが小アジアを旅した時のルートについて,「彼らはミシアのそばを通ってトロアスに下った」と述べています。パウロがマケドニアの人の幻を見たのはトロアスでのことでした。その人はパウロに,「マケドニアへ渡って来て,わたしたちを助けてください」と懇願しました。ルカは記述をこう続けています。「そこで,パウロがその幻を見てからすぐ,わたしたちは……マケドニアへ行こうと努めた」。(使徒 16:8-10)ここで主語が「彼らは」から「わたしたちは」に変わったということは,ルカがトロアスでパウロの一行に加わったことを暗示しています。その後のフィリピでの伝道についても「わたしたち」という言葉が用いられていることから,ルカ自身も伝道活動に参加していたことが分かります。ルカはこう書いています。「安息日に,わたしたちは門の外の川のそばに出かけて行った。そこに祈りの場所があると思ったのである。そしてわたしたち は腰を下ろし,集まっていた女たちに話しはじめた」。結果として,ルデアとその家の者たち全員が良いたよりを受け入れ,バプテスマを受けました。―使徒 16:11-15。, フィリピでは反対にも直面します。「占いの悪霊」の影響を受けて予言していた一人の下女をパウロがいやしたため,下女の主人たちが利得の手段を奪われたといってパウロとシラスを捕まえたのです。そのあと二人は打ちたたかれ,投獄されました。しかし,ルカは捕縛されずに済んだようです。仲間の受けたその試練について,「彼ら」という表現を用いて説明しているからです。釈放されると,『彼ら[パウロとシラス]は兄弟たちに会って励まし,それから去って行きました』。ルカは,パウロが後日フィリピに戻って来て初めて,その記述に「わたしたち」という表現を再び用いています。(使徒 16:16-40; 20:5,6)おそらくルカはそれまでフィリピにとどまり,そこでの業を監督していたのでしょう。, ルカは,福音書と「使徒たちの活動」の書に記した情報をどのようにして得たのでしょうか。「使徒たちの活動」のうち「わたしたち」という言葉が用いられている部分 ― ルカが自分を話に含めている部分 ― を読むと,ルカはパウロに同行してフィリピからエルサレムに向かったということが分かります。そのエルサレムでパウロは再び捕縛されることになりますが,そこへ行く途中,パウロの一行はカエサレアで福音宣明者フィリポの家に滞在しました。(使徒 20:6; 21:1-17)ルカはこのフィリポから,サマリアでの初期の宣教者奉仕に関する情報を得たのかもしれません。フィリポはサマリアでの伝道活動を率先して行なっていたからです。(使徒 8:4-25)では,ルカはほかにだれから情報を得たのでしょうか。, パウロがカエサレアで投獄されていた2年間に,ルカは福音書を記すための調査を行なうことができたと思われます。エルサレムまではそれほど遠くなかったので,イエスの系図に関する記録を調べに行くことができました。ルカはイエスの生涯と宣教奉仕に関して,他の福音書には記されていない出来事を数多く記録しました。ある学者は,そのような記述が82もあるとしています。, ルカは,バプテスマを施す人ヨハネの誕生にまつわる事柄をヨハネの母エリサベツから教えてもらった,と考えられます。また,イエスの誕生と幼少時代についての詳しい事柄は,イエスの母マリアから聞いたのかもしれません。(ルカ 1:5–2:52)奇跡的な大漁については, ペテロかヤコブ,もしくはヨハネがルカに話したのでしょう。(ルカ 5:4-10)イエスのたとえ話のうちの幾つかは,ルカの福音書にしか記されていません。例えば,親切なサマリア人,狭い戸口,なくなったドラクマ硬貨,放とう息子,富んだ人とラザロに関する話です。―ルカ 10:29-37; 13:23,24; 15:8-32; 16:19-31。, ルカは人々に強い関心を示しました。マリアが浄めの捧げ物を差し出したこと,やもめの息子が復活したこと,女がイエスの足に香油を注いだことなどを記録しました。また,キリストに奉仕した女性たちのことや,マルタとマリアがイエスをもてなしたことにも言及しています。ルカの福音書には,体の折れ曲がっていた女性と水腫にかかっていた男性がいやされたこと,10人のらい病人が清められたことも記されています。ルカはさらに,イエスを見ようとして木によじ登った小柄なザアカイについて述べ,イエスの傍らで杭につけられた悪行者が示した悔い改めの態度についても記しています。―ルカ 2:24; 7:11-17,36-50; 8:2,3; 10:38-42; 13:10-17; 14:1-6; 17:11-19; 19:1-10; 23:39-43。, ルカの福音書に傷の手当てのことが記されているのは注目に値します。イエスの話したたとえ話に出てくる親切なサマリア人が施した処置のことです。ぶどう酒を消毒剤,油を鎮痛剤として用い,包帯を巻くことなど,イエスの描写をルカが記録しているのは,医師として関心があったからでしょう。―ルカ 10:30-37。, ルカはパウロのことを気遣っていました。パウロがカエサレアで拘禁されていた時,ローマの行政長官フェリクスは「[パウロの]仲間の者が彼の世話をすること」を禁じないようにと命じました。(使徒 24:23)おそらくルカは,パウロに付き添うそれら仲間の一人であったことでしょう。パウロはいつも健康というわけではなかったので,介添えをすることが「愛する医者」ルカの奉仕の一つだったかもしれません。―コロサイ 4:14。ガラテア 4:13。, パウロがカエサルに上訴すると,ローマの行政長官フェストはパウロをローマへ移送します。ルカは忠節にも囚人パウロに付き添ってイタリアへの長い船旅をし,そのとき経験した難船に関して,真に迫った記録を残しました。(使徒 24:27; 25:9-12; 27:1,9-44)パウロは,ローマで軟禁されていた間に霊感による手紙を何通も書き,そのうちの2通の中でルカのことに触れました。(使徒 28:30。コロサイ 4:14。フィレモン 24)多分その2年の間に,ルカは「使徒たちの活動」の書を記したのでしょう。, ローマのパウロの住まいには,霊的活動に携わる人たちがよく訪れたに違いありません。ルカはそこで,パウロの仲間の同労者たち ― テキコ,アリスタルコ,マルコ,ユスト,エパフラス,オネシモなど ― の幾人かと接したことでしょう。―コロサイ 4:7-14。, パウロは二度目に投獄されている時,自分の死が迫っていると感じていました。その時,他の人たちはパウロを見捨てたにもかかわらず,忠節で勇敢なルカはパウロのそばにいました。自分も自由を失うことを覚悟の上でとどまったのでしょう。もしかすると,「ルカだけがわたしと共にいます」というパウロの言葉は,ルカが代筆したのかもしれません。伝承によれば,その後まもなくパウロは打ち首に処されました。―テモテ第二 4:6-8,11,16。, ルカは自己犠牲の精神を持つ,慎み深い人でした。知識をひけらかすことも,脚光を浴びようとすることもありませんでした。そうです,医師としての成功を追い求めることもできましたが,王国の関心事を推し進める道を選んだのです。わたしたちもルカと同じように,無私の態度で良いたよりを宣明し,謙遜な態度でエホバの栄光のために仕えてゆきましょう。―ルカ 12:31。, ルカは,福音書と「使徒たちの活動」の書をどちらも,テオフィロにあてて書きました。この人はルカの福音書では,「きわめて優れたテオフィロ様」と呼ばれています。(ルカ 1:3)「きわめて優れた」という表現は一種の敬称で,非常に裕福な著名人やローマ政府の高官に対して用いられました。使徒パウロも,ローマの属州ユダヤの行政長官フェストに,同じように敬称で呼びかけました。―使徒 26:25。, テオフィロはイエスについて聞いており,関心を持っていたようです。ルカは,テオフィロがこの福音書を読んで,『口伝えに教えられたことの確かさを十分に知る』ようにと願っていました。―ルカ 1:4。, ギリシャ語学者リチャード・レンスキによるとテオフィロは,ルカが「きわめて優れた」と呼んだ時,信者ではなかったようです。「キリスト教のどんな文献にも,クリスチャンの兄弟がそのような世俗の称号で呼ばれている箇所はない」からです。ルカは後に「使徒たちの活動」を書く際,「きわめて優れた」という称号は用いず,単に「テオフィロ様」と呼びました。(使徒 1:1)レンスキは結論としてこう述べています。「ルカがテオフィロにあてて福音書を記した時,この著名な人はまだクリスチャンではなかったが,キリスト教に非常に関心を持っていた。しかし,ルカが『使徒たちの活動』を書き送った時,テオフィロはすでに改宗者となっていた」。, Copyright © 2020 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania. 利用規約 プライバシーに関する方針, https://assetsnffrgf-a.akamaihd.net/assets/ct/5ab2b7f40e/images/cvr_placeholder.jpg, 電子出版物のダウンロード・オプション 「ものみの塔」(研究用) 2007年11月 15日, シェアする ユーゴスラビアから独立後、おおむね安定していたマケドニア国内でも、コソボ紛争によって約25万人のコソボ地域のアルバニア系住民が難民として押し寄せてきた。 山地・北西部の アッパー・マケドニア (マケドニア語版、ギリシア語版、ブルガリア語版、英語版) ルカ( Λουκᾶς, Lukas, ギリシア語発音でルカス, 福音記者ルカ)は新約聖書の『ルカによる福音書』及び『使徒言行録』の著者とされる人物。 聖人の概念を持つ全ての教派で、聖人として崇敬されている。 カトリック教会での記念日は10月18日、正教会での記憶日は4月22日(5月3日)である。 5 トロアスでパウロたちに合流した福音書筆者ルカは,起きた事柄をこう記しています。「パウロは夜中に幻を見た。あるマケドニアの人が立って彼に懇願し,『マケドニアへ渡って来て,わたしたちを助けてください』と言うのであった。 マケドニア紛争(マケドニアふんそう)は、マケドニア共和国北部で2001年に発生した紛争。, ユーゴスラビアから独立後、おおむね安定していたマケドニア国内でも、コソボ紛争によって約25万人のコソボ地域のアルバニア系住民が難民として押し寄せてきた。人口の3割を占めるアルバニア系住民はかねてより高度な自治を要求していたが、難民流入によってアルバニア民族主義が高まり、2001年2月、アルバニア系住民の民族解放軍(NLA)が武装蜂起した。これにコソボ自治州から武装勢力が越境して介入しようとした為、マケドニア軍との間で戦闘が起こった。事件は3月後半から国際社会で認知され、ヨーロッパ各国は行方を憂慮していたが、数ヶ月に渡って小競り合いが続いたため、北大西洋条約機構(NATO)が8月に介入(欠かせない収穫作戦)して、アルバニア系住民の権利拡大を認める和平合意文書(オフリド合意)に調印して停戦、NATO軍が駐留を開始した(オペレーション・アンバー・フォックス)。11月に合意に基づき議会が憲法を改正、2002年9月の総選挙では、マケドニア人政党「社会民主同盟」が政権を奪還し、NLAが改組したアルバニア人政党「民主統合連合」と連立政権を組んだ。その後もアルバニア系武装勢力によるテロ事件や、警察との衝突が散発的に起こったが、現在は落ち着き、治安は安定している。, ヨシップ・ブロズ・ティトー - パルチザン - ユーゴスラビア共産主義者同盟 - ティトー主義 - 兄弟愛と統一 - クロアチアの春 - セルビア科学芸術アカデミーの覚書 - 反官憲革命 - ユーゴスラビア崩壊, ユーゴスラビア人民軍 - クロアチア共和国軍 - クロアチア防衛軍 - 白い鷹 - セルビア義勇親衛隊 - サソリ - 国際連合保護軍 - 国際連合クロアチア信頼回復活動, 丸太革命 - デイトン合意 - 国際連合東スラヴォニア・バラニャおよび西スレム暫定統治機構 - 国際連合プレヴラカ監視団 - 国際連合文民警察サポート・グループ, スルプスカ共和国 -  ヘルツェグ=ボスナ - 西ボスニア自治州 -  ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦, ユーゴスラビア人民軍 - クロアチア共和国軍 - ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国軍 - スルプスカ共和国軍 - クロアチア防衛評議会 - クロアチア防衛軍 - 白い鷹 - セルビア義勇親衛隊 - サソリ - ギリシャ人義勇軍 - 国際連合保護軍 - 国際連合ボスニア・ヘルツェゴヴィナ・ミッション - NATO, カラジョルジェヴォ会談(グラーツ合意)- ワシントン合意 - デイトン合意 - 大量強姦 - ボスニア・ジェノサイド - 和平履行部隊 - 平和安定化部隊 - 欧州連合部隊 アルテア, ユーゴスラビア軍 - コソボ解放軍 - セルビア義勇親衛隊 - ムジャーヒディーン義勇軍 - NATO, コソボ共和国 - アルバニア暴動 - ラプシュニク収容所 - 人道的介入 - UNMIK - KFOR - 国際連合安全保障理事会決議1244号 - コソボ地位問題 - プレシェヴォ渓谷危機 - プレシェヴォ・メドヴェジャ・ブヤノヴァツ解放軍 - 2004年コソボ暴動 - 2008年コソボ独立宣言 - 2008年コソボ暴動 - EULEXコソボ, 国際連合保護軍 - 国際連合予防展開軍 - オフリド合意 - 欠かせない収穫作戦 - 山嵐作戦, アンテ・マルコヴィッチ - ボリサヴ・ヨヴィッチ - ドブリツァ・チョシッチ - ゾラン・リリッチ - スロボダン・ミロシェヴィッチ - ミラン・ミルティノヴィッチ - モミル・ブラトヴィッチ - ミロ・ジュカノヴィッチ - ミラン・クチャン - ヤネス・ヤンシャ - フラニョ・トゥジマン - スティエパン・メシッチ - アリヤ・イゼトベゴヴィッチ - アディル・ズルフィカルパシッチ - ラドヴァン・カラジッチ - ビリャナ・プラヴシッチ - ミラン・バビッチ - ゴラン・ハジッチ - ミラン・マルティッチ - マテ・ボバン - フィクレト・アブディッチ - イブラヒム・ルゴヴァ - ボリス・トライコフスキ, ヴェリコ・カディイェヴィッチ - マルティン・シュペゲリ - ジヴォタ・パニッチ - モムチロ・ペリシッチ - ヤンコ・ボベトコ - ミレ・ムルクシッチ - ラトコ・ムラディッチ - ラシム・デリッチ - セフェル・ハリロヴィッチ - アティフ・ドゥダコヴィッチ - アギム・チェク - ドラゴリュブ・オイダニッチ - リュベ・ボシュコスキ, ブラゴ・ザドロ - アンテ・ゴトヴィナ - ヨヴァン・ディヴャク - ナセル・オリッチ - イヴィツァ・ライッチ - ヴォイスラヴ・シェシェリ - ミルコ・ヨヴィッチ - ドラガン・ヴァシリコヴィッチ - ジェリコ・ラジュナトヴィッチ - ネボイシャ・パヴコヴィッチ - ハシム・サチ - ラムシュ・ハラディナイ - アリ・アフメティ, ウェズリー・クラーク - ビル・クリントン - ヘルムート・コール - ボリス・イェリツィン - トニー・ブレア - フランソワ・ミッテラン - ブトロス・ブトロス=ガーリ - 明石康, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=マケドニア紛争&oldid=75743612. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. 概要. マケドニア人の映画監督、Milcho Manchevski氏の映画。 かなりかっこいいサントラもマケドニア人のKiril Dzajkovski氏が手がけています。 タクシーでもテクノやサイケがかかっているこの国だけあってエッジーな感じです。 Copyright © myDate = new Date();myYear = myDate.getFullYear();document.write(myYear); Harvest Time Ministries, All Rights Reserved. *「私たち」という言葉で、マケドニア人であることが分かった。 *これはルカだと考える学者もいるが、単なる推測である。 ③マケドニアは、ギリシアの北部、トロアスから真西に位置する地域である。 この無料配信メッセージは、皆様の祈りと献金のサポートで成り立っています。 *「私たち」という言葉で、マケドニア人であることが分かった。 *これはルカだと考える学者もいるが、単なる推測である。 ③マケドニアは、ギリシアの北部、トロアスから真西に位置する地域である。 ④マケドニア人は、ヨーロッパ人である。 1-3 (イ)パウロと仲間たちは,どのように聖霊に導かれましたか。(ロ)これからどんな出来事について考えますか。, 女たちがマケドニアのフィリピ市を出て行きます。間もなくガンギテスという細い川に着きます。いつものように,川岸に座ってイスラエルの神に祈ります。エホバはその様子を見ておられます。―代二 16:9。詩 65:2。, 2 一方,そこから800㌔以上東で,男たちがガラテア南部のルステラ市を出て行きます。数日後,西に延びるローマの街道に着きます。アジア地区で特に人口の多い地域に通じる舗装された道です。男たち ― パウロ,シラス,テモテ ― は,その道を通ってエフェソスなどの都市へ行こうと考えています。その地の大勢の人々もキリストについて聞く必要があります。ところが,その旅を始めもしないうちに,聖霊によって何らかの方法で止められます。アジア地区で宣べ伝えるのを禁じられたのです。なぜでしょうか。イエスは神の霊によってパウロの一行をずっと導き,小アジアを通ってエーゲ海を渡らせ,ガンギテスというあの小川のほとりまで行かせたいと思っているのです。, 3 マケドニアへのこの異例の旅においてイエスがパウロと仲間たちをどのように導いたかを調べると,貴重な教訓を得ることができます。では,西暦49年ごろに始まったパウロの第2回宣教旅行における出来事を見てゆきましょう。, 4,5 (イ)ビチニアの近くでパウロたちに何が起きましたか。(ロ)彼らはどんなことを決めましたか。どんな結果になりましたか。, 4 アジアで宣べ伝えるのを妨げられたパウロと仲間たちは,ビチニアの諸都市で伝道しようと北に向きを変えます。そこへ行くために,フリギアとガラテアの人口のまばらな地域の間を通り,舗装されていない小道を幾日も歩いたかもしれません。しかし,ビチニアに近づくと,イエスは再び聖霊を用いて一行をとどめます。(使徒 16:6,7)パウロたちは困惑したに違いありません。何を宣べ伝えるのか,どのように宣べ伝えるのかは分かっていますが,どこで宣べ伝えるべきかが分からないのです。アジアへ通じる扉をたたきましたが,駄目でした。ビチニアへ通じる扉をたたきましたが,やはり駄目でした。それでもパウロは,開く扉が見つかるまでたたき続ける決意を抱いています。この時に一行が決めた事柄は奇妙に思えたかもしれません。西に向きを変えて550㌔歩き,次から次へと都市を通り過ぎてゆきます。そしてマケドニアへの玄関口であるトロアスの港に着きました。(使徒 16:8)パウロは3番目の扉をたたきます。すると,今度はぱっと開きます。, 5 トロアスでパウロたちに合流した福音書筆者ルカは,起きた事柄をこう記しています。「パウロは夜中に幻を見た。あるマケドニアの人が立って彼に懇願し,『マケドニアへ渡って来て,わたしたちを助けてください』と言うのであった。そこで,パウロがその幻を見てからすぐ,わたしたちは,彼らに良いたよりを宣明するため神がわたしたちを呼び寄せてくださったのだと結論して,マケドニアへ行こうと努めた」。* (使徒 16:9,10)ついにパウロは,どこで宣べ伝えるべきかが分かりました。途中であきらめなくて本当によかったと感じたに違いありません。4人は早速マケドニアに向けて船出します。, 6,7 (イ)パウロの旅行中に生じた事柄からどんな教訓が学べますか。(ロ)パウロの経験から,どんな確信を持てますか。, 6 この記述からどんな教訓が学べますか。注目できる点として,パウロがアジアに向けて出発した後に初めて神の霊が介入し,パウロがビチニアの近くに行って初めてイエスが介入し,パウロがトロアスに着いて初めてイエスがマケドニアへと導きました。会衆の頭イエスは,今日でもわたしたちに対して同じように行動される場合があります。(コロ 1:18)例えば,ある人たちは,開拓者として奉仕することや王国伝道者の必要が大きな地域へ移動することについて,しばらく考えてきたかもしれません。とはいえ,目標を達成するために実際に行動して初めて,イエスは神の霊を通して導いてくださるでしょう。なぜそう言えますか。例えで考えてみましょう。運転手は,車を右や左に向かわせることができますが,そのためには車が動いていなければなりません。同様にイエスは,わたしたちが宣教を拡大するのを導いてくださいますが,そのためには,わたしたちが動いていなければ,つまり真剣な努力を傾けていなければなりません。, 7 とはいえ,自分の努力がすぐに実を結ばないなら,どうでしょうか。神の霊に導かれていないと考えて,あきらめたほうがよいのでしょうか。そうではありません。パウロも何度か妨げに遭ったことを思い出してください。しかしパウロは,開く扉を探し続け,ついに見つけました。わたしたちも,「活動に通ずる大きな戸口」を粘り強く探すなら同じように報われる,と確信できます。―コリ一 16:9。, 8 (イ)フィリピ市について説明してください。(ロ)パウロが「祈りの場所」で伝道した結果,どんな喜ばしいことが生じましたか。, 8 マケドニア地区に着いたパウロたちはフィリピに向かいます。その都市の住民は,ローマ市民であることを誇りに思っていました。植民市フィリピは,そこに住む退役したローマ兵にとってマケドニアの小ローマ,さながら小さなイタリアのようでした。宣教者たちは,都市の門の外,細い川のそばで,「祈りの場所」があると思われる所を見つけました。* 安息日にそこに出かけて行き,集まって神を崇拝している女たちを見つけます。それで腰を下ろし,話しかけます。ルデアという女性が『聴いていましたが,エホバは彼女の心を大きく開きました』。ルデアは聴いた事柄にたいへん心を動かされ,彼女とその家の者たちはバプテスマを受けます。そして,ルデアはパウロと旅仲間を強いて連れて行き,自分の家に泊めます。* ―使徒 16:13-15。, 9 今日,多くの人がどのようにパウロの手本に倣っていますか。その結果,どんな祝福を得ていますか。, 9 ルデアのバプテスマによってどれほどの喜びが生じたかを想像してみてください。パウロは,『マケドニアへ渡って来てください』という招きを受け入れて本当によかったと感じたことでしょう。そして,神を恐れる女たちの祈りにお答えになるのにエホバが自分たちを用いてくださったことを,大いに喜んだに違いありません。今日でも大勢の兄弟姉妹が,老いも若きも,独身者も既婚者も,王国伝道者の必要が大きな地域に移動しています。困難もありますが,聖書の真理を受け入れるルデアのような人を見つけた時の満足感に比べれば,ささいなことに思えます。あなたも事情を調整し,必要の大きな区域へ『渡って行く』ことができますか。祝福が待ち受けています。中米の国に移動した20代のアーロンの例を取り上げましょう。兄弟は多くの人の気持ちを代弁してこう語っています。「外国での奉仕は,霊的に成長し,エホバにいっそう近づく助けになっています。野外奉仕は最高です。聖書研究を8件司会しています」。, 10 パウロとその仲間にとって事態が変化したことには,悪霊の活動がどのように影響していましたか。, 10 サタンは,自分と悪霊たちが幅を利かせていたその地域で良いたよりが広まり始めたことに激怒したに違いありません。悪霊の活動の影響で,パウロとその仲間にとって事態が変化します。祈りの場所を引き続き訪れていると,悪霊につかれた下女に会います。予言をして自分の主人たちに利益を得させていたその下女は,パウロたちのあとにずっと付いて来て,こうわめきます。「この人たちは至高の神の奴隷で,あなた方に救いの道を広めているのです」。悪霊は下女にそう叫ばせて,下女の予言とパウロの教えが同じ源から出ているように見せかけたのでしょう。そのため,周囲の人々の注意はキリストの真の追随者からそらされたかもしれません。しかし,パウロは悪霊を追い出して下女を黙らせます。―使徒 16:16-18。, 11 下女の主人たちは,自分たちの楽な金儲けの手段がなくなって激しく怒り,パウロとシラスを市の立つ広場の中へ引きずって行きます。そこでは,ローマを代表する役人である行政官たちが裁判を行なっています。主人たちは,裁き人の偏見と愛国心に訴えかけ,『これらのユダヤ人は,我々ローマ人が受け入れることのできない習慣を教えて騒動を引き起こしている』という趣旨のことを言います。その言葉に人々はすぐに反応します。「[市の立つ広場にいる]群衆は彼ら[パウロとシラス]に敵して共に」立ち上がり,行政官たちは彼らを「棒むちで打ちたたくように」と命じます。その後,二人は獄に引いて行かれ,牢番は傷ついた二人を奥の獄に入れて,足かせ台につなぎました。(使徒 16:19-24)牢番が戸を閉めると,監房の中は真っ暗で,二人はお互いの顔さえ見えなかったでしょう。でも,エホバは見ておられました。―詩 139:12。, 12 (イ)キリストの弟子たちは迫害をどう見ましたか。なぜですか。(ロ)サタンとその手先となっている人々は,今でもどのような方法で反対しますか。, 12 イエスは追随者たちに,『彼らはあなた方を迫害するでしょう』と言っておられました。(ヨハ 15:20)ですから,パウロたちはマケドニアへ渡って来た時,反対を覚悟していました。迫害に遭った時,それをエホバの不興のしるしではなく,サタンの怒りの表われと見ました。今日でも,サタンの手先となっている人々は,フィリピで用いられたのと同じような方法を使います。欺瞞的な反対者たちは,学校や職場でわたしたちのことを偽り伝え,反対をあおります。国によっては,宗教上の反対者が裁判でわたしたちを訴えて,『これらのエホバの証人は,我々“伝統ある宗教の信者”が受け入れることのできない習慣を教えて騒動を引き起こしている』という趣旨のことを言います。わたしたちの仲間の崇拝者が打ちたたかれて投獄されている地域もあります。でも,エホバは見ておられます。―ペテ一 3:12。, 13 どんないきさつで,牢番は「救われるためにわたしは何をしなければなりませんか」と尋ねましたか。, 13 騒然とした一日を経験したパウロとシラスは,落ち着くまでに時間がかかったでしょう。とはいえ,真夜中までには幾らか回復し,「祈ったり,歌で神を賛美したりして」いました。すると突然,地震で獄が揺れ動きます。目を覚ました牢番は,戸が開いているのを見て,囚人たちが逃げてしまったと考えました。囚人に逃亡されたら処罰を受けると分かっていたので,「剣を抜いて自害しようとし」ます。しかしパウロが,「自分を傷つけてはいけない。わたしたちは皆ここにいる!」と叫びます。牢番はどうしていいか分からず,「皆様,救われるためにわたしは何をしなければなりませんか」と尋ねます。パウロとシラスが彼を救うことはできません。救えるのはイエスだけです。それで,「主イエスを信じて頼りなさい。そうすれば救われます」と答えます。―使徒 16:25-31。, 14 (イ)パウロとシラスは牢番にどんな助けを与えましたか。(ロ)パウロとシラスは喜びをもって迫害に耐えることにより,どんな祝福を得ましたか。, 14 牢番の質問は心から出たものだったでしょうか。その誠実さをパウロは疑いません。牢番は異邦人で聖書に通じていなかったので,クリスチャンになる前に聖書の基本的な真理を学んで受け入れる必要があります。それで,パウロとシラスは時間を取って「エホバの言葉を彼に」語ります。聖書を教えることに没頭しているうちに,打たれた痛みを忘れてしまったかもしれません。けれども,牢番は二人の背中の深い傷に気づき,むち跡を洗います。そして,彼と家の者たちとは「すぐにバプテスマを受け」ました。パウロとシラスは,喜びをもって迫害に耐えることにより,なんという祝福を得たのでしょう。―使徒 16:32-34。, 15 (イ)今日,大勢の証人たちがパウロとシラスの手本にどのように従っていますか。(ロ)区域の人々の家を引き続き訪問すべきなのはなぜですか。, 15 今日,多くの証人たちがパウロとシラスのように,信仰ゆえに投獄されている間も良いたよりを宣べ伝えており,良い結果が生じています。例えば,わたしたちの活動が禁止されていたある国では,一時期,エホバの証人の40%は獄中でエホバについての真理を知った人々でした。(イザ 54:17)注目できる別の点として,牢番は地震が起きた後に初めて,助けを求めました。同様に,それまで王国の音信に全くこたえ応じなかった人が,つらい出来事によって自分の世界が突然揺り動かされた後で,こたえ応じるようになることがあります。わたしたちは区域の人々を忠実に訪問し続けることにより,いつでもすぐに助けを差し伸べることができます。, 16 むち打ちの日の翌朝,行政官たちはパウロとシラスの釈放を命じます。しかしパウロはこう言います。「彼らはローマ人であるわたしたちを,有罪の宣告もせずに公にむち打ち,しかも獄に入れました。それを今,ひそかに出そうというのですか。それはなりません! 彼らが自分で出向いて来て,わたしたちを連れ出すべきです」。行政官たちはその二人がローマ市民だと知って,「怖く」なります。二人の権利を侵害していたからです。* 形勢が逆転します。この弟子たちは公に打ちたたかれたので,今度は,行政官たちが公に謝罪しなければなりません。彼らはフィリピを去るよう二人に懇願します。二人はそれに応じますが,その前に時間を取って,数を増す新しい弟子たちを励まします。それから去って行きました。, 17 新しい弟子たちはパウロとシラスが忍耐する姿を見て,どんな重要な教訓を学びましたか。, 17 ローマ市民としての権利にもっと早く注意が向けられていれば,パウロとシラスはむち打たれずに済んだことでしょう。(使徒 22:25,26)しかしその場合,キリストのために苦しみを受けることを自分の立場を利用して免れた,という印象をフィリピの弟子たちに与えたかもしれません。そうなったなら,ローマ市民ではない弟子たちの信仰はどんな影響を受けるでしょうか。彼らは法律によってむち打ちから守られることはありません。ですから,パウロとシラスは処罰を耐え忍ぶことにより,キリストの追随者は迫害下でも堅く立てることを,新しい信者たちに手本で示したのです。さらに二人は市民権を認めるよう要求することにより,行政官たちが自分たちの不法な行為を公にせざるを得ないようにさせました。その結果,おそらく仲間の信者たちは行政官による虐待から守られ,将来に同様の攻撃を受けた時にも幾らかの法的保護を得られたかもしれません。, 18 (イ)現代のクリスチャンの監督たちはパウロの手本にどのように倣いますか。(ロ)今日,わたしたちはどのように「良いたよりを擁護して法的に確立」しますか。, 18 今日,クリスチャン会衆の監督たちも手本によって指導します。クリスチャンの牧者は,仲間の信者にしてほしいと思うことを何でも自ら進んで行ないます。また,わたしたちはパウロのように,保護を得るために法的な権利をいつどのように行使するかを注意深く考慮します。必要であれば,崇拝のための法的な保護を得るために,裁判所に,時には国際的な裁判所にも訴えます。その目的は,社会改革ではありません。むしろ,パウロがフィリピでの投獄から10年ほど後にその地の会衆に書き送ったとおり,「良いたよりを擁護して法的に確立すること」です。(フィリ 1:7)とはいえわたしたちは,そうした裁判がどんな結果になるとしても,パウロとその仲間のように,どこでも神の霊が導く所で「良いたよりを宣明」してゆくことを決意しています。―使徒 16:10。, フィリピの軍事的な性格ゆえに,ユダヤ人はその都市に会堂を持つことを禁じられていたのかもしれません。あるいは,この都市ではユダヤ人の男性が10人(会堂の設立に必要な最低人数)に満たなかったという可能性もあります。, ローマ法によれば,市民には常にきちんとした裁判を受ける権利があり,有罪宣告もせずに市民を公に処罰してはなりませんでした。, 「使徒たちの活動」は16章9節まで第三者の視点で出来事が記されています。つまり,他の人の言動を伝えるという形で書かれています。しかし,使徒 16章10,11節で書き方が変化します。例えば11節には,「わたしたちはトロアスから船出してサモトラケに直行し」たとあります。ここで筆者のルカが加わったのです。とはいえ,ルカの名前は「使徒たちの活動」のどこにも出ていないのに,どうして筆者だと分かるのでしょうか。, 「使徒たちの活動」とルカの福音書の冒頭部分から,その答えが得られます。両方とも「テオフィロ」という人物に宛てて書かれています。(ルカ 1:1,3。使徒 1:1,2)「使徒たちの活動」の出だしは次のとおりです。「テオフィロ様,わたしは最初の記述を,イエスが行ないかつ教え始められたすべての事柄についてまとめ……ました」。「最初の記述」すなわち福音書をルカが書いたことは古代の権威者たちによって認められているので,「使徒たちの活動」もルカが記したに違いありません。, ルカについての情報はそれほど多くなく,その名前は聖書に3回しか出てきません。使徒パウロはルカのことを,「愛する医者」また「わたしの同労者」と呼んでいます。(コロ 4:14。フィレ 24)ルカが自分を含めて「わたしたち」と述べている部分を調べると,ルカが西暦50年ごろ使徒パウロに初めて同行してトロアスからフィリピまで行ったこと,また,パウロがフィリピを離れた時点でルカは共にいなかったことが分かります。二人は,西暦56年ごろにフィリピで再会し,他の7人の兄弟と一緒にフィリピからエルサレムへ旅しました。パウロはそこで捕縛されます。2年後,ルカは,鎖につながれたままのパウロに同行してカエサレアからローマに行きました。(使徒 16:10-17,40; 20:5–21:17; 24:27; 27:1–28:16)パウロがローマでの二度目の投獄の際に,処刑が近いことを悟った時,共にいたのは「ルカだけ」でした。(テモ二 4:6,11)ですから,ルカは長い距離を旅し,良いたよりのために進んで困難に耐えたのです。, ルカは,イエスについて書いた事柄を自分が目撃したとは言っていません。むしろ,「目撃証人」の説明に基づいて「その叙述をまとめようと」したと述べています。そして,「すべてのことについて始めから正確にそのあとをたどり」,「論理的な順序で書いて」います。(ルカ 1:1-3)ルカの労作を見ると,注意深い調査の跡がうかがえます。資料を集めるために,エリサベツや,イエスの母マリアなどからも話を聞いたかもしれません。ルカが書いた事柄の多くは,他の福音書にはない情報です。―ルカ 1:5-80。, パウロによればルカは医者であり,ルカの記述には,苦しむ人々への医者ならではの関心が表われています。例えばルカは,イエスが悪霊につかれた人を治した時に,「悪霊は……出て来たが,彼を傷つけてはいなかった」ことを述べています。また,使徒ペテロのしゅうとめが「高い熱」で苦しんでいたこと,イエスが助けたある女性は「十八年のあいだ虚弱の霊につかれ……体が折れ曲がり,身を起こすことが全くできなかった」ことも記しています。―ルカ 4:35,38; 13:11。, ルカは確かに,生活の中で「主の業」を第一にしました。(コリ一 15:58)世俗の仕事や目立った立場を追い求めることではなく,他の人がエホバを知ってその方に仕えるよう助けることを目標としたのです。, ルデアは,マケドニアの主要都市フィリピに住んでいました。出身は小アジア西部のリュディア地方の都市テアテラで,紫布の商売を営むためにエーゲ海を渡ってきました。敷物,タペストリー,布地,さらには染料など,紫の様々な品物を扱っていたようです。紫布を売る人たちの組合がフィリピにあったことが,その都市で見つかった碑文により裏づけられています。, ルデアは「神の崇拝者」と呼ばれていますが,これはユダヤ教への改宗者であったことを意味しているようです。(使徒 16:14)ルデアは,故郷の都市でエホバの崇拝について知ったのかもしれません。フィリピとは異なり,そこにはユダヤ人の集会場がありました。ルデアという名は,フィリピで彼女に付けられた「リュディアの女」という意味のあだ名である,と考える人もいます。しかし,その名が実名としても使われていたことを示す文書があります。, リュディア地方とその近隣の人たちは,西暦前9世紀か8世紀のホメロスの時代以来,紫の染色技術で有名でした。実際,テアテラの水を使うと「最も鮮やかであせにくい色」が生まれるという評判がありました。, 紫の品はぜいたく品であり,裕福な人しか手が届きませんでした。紫の染料はいろいろな物から採れましたが,地中海の貝を原料とするものが最も上質で高価であり,上等の亜麻布に使われました。1個の貝から採れる染料はごくわずかで,その貴重な液体を1㌘得るのに8,000個もの貝を処理しなければなりませんでした。ですから,この色の布はたいへん値が張りました。, ルデアの商売にはかなりの資金が必要だったことや,パウロ,シラス,テモテ,ルカの4人を泊められるだけの家を有していたことからすると,ルデアは商売の繁盛した裕福な人だったに違いありません。「家の者たち」のことが出てくるので,親族と一緒に住んでいた可能性もありますが,奴隷や僕がいたのかもしれません。(使徒 16:15)その都市を去る前にパウロとシラスがルデアの家で兄弟たちと会ったことからすると,もてなしの精神に富むこの女性の家はフィリピの最初のクリスチャンたちの集会場所になっていたと思われます。―使徒 16:40。, パウロは,10年ほど後に書いたフィリピ会衆への手紙の中でルデアのことを何も述べていません。ですから彼女について分かるのは,使徒 16章に記されている事柄だけです。. 文脈を重視する 3. 聖書箇所の引用には新改訳聖書を使用しています。その他の場合は明記いたします。 Act 16:6 それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。, Act 18:19 彼らがエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂に入って、ユダヤ人たちと論じた。, Act 16:7 こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。, 1Pe 1:1 イエス・キリストの使徒ペテロから、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤに散って寄留している、選ばれた人々、すなわち、, ③「私たち章句」は、16:10~17、20:5~15、21:1~18、27:1~28:16。, Act 1:20 実は詩篇には、こう書いてあるのです。『彼の住まいは荒れ果てよ、そこには住む者がいなくなれ。』また、『その職は、ほかの人に取らせよ。』. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. マケドニアリーグでプロデビューという、なかなか変わった経歴のブラジル人選手です。 【ルカオ 選手 新加入のお知らせ】 この度、ルーカス マルコス メイレレス 選手が新加入することとなりましたので、お知らせいたします。 マケドニア王国・ 古代マケドニア人 (ギリシア語版、マケドニア語版、ブルガリア語版、英語版) 古代、アレクサンドロス大王を出した、ギリシャ人の多く住んでいた故地で、大まかに . あなたの「ちょっとした感謝」を300円献金で贈ってみませんか?, これらのメッセージは、恵比寿と大阪で定期的に行っている集会で収録されています。どなたでもお気軽にお越し下さい。, 中川牧師の書斎から#029「米大統領選の行方」-大統領候補テレビ討論会の勝者は誰か-, ハーベスト・タイムの働きは、サポーターの皆様のお祈りと、献金により維持されております。ぜひ、応援をよろしくお願いいたします。, 私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. マケドニア紛争(マケドニアふんそう)は、マケドニア共和国北部で2001年に発生した紛争。. ルカは,パウロとその仲間たちが小アジアを旅した時のルートについて,「彼らはミシアのそばを通ってトロアスに下った」と述べています。パウロがマケドニアの人の幻を見たのはトロアスでのことで …

101 英語 キーボード, すみっこぐらし ゲーム 農園, 朝顔 9話 動画, 楽天キャッシュ 送れない セキュリティ, ストウブ ご飯 焦げる, ワゴンr パワステ 重い, ロエベ 財布 人気, 生活保護 医療費 返還, 心不全 終末期 看護, 河口湖 6月 天気, それと これとは別 英語, Jrバス 時刻表 新札幌, 総武快速 船橋 人身, フリー素材 女性 自撮り, H2oリテイリング 株主優待 延長, オデッセイ パワステポンプ リビルト, スマホ 勝手に電源 つく, Xperia Xz1 アプリ Sdカード 移動, アクア ドアミラー 配線, 石川県 温泉 補助金, パプリカ 米津 歌詞, アフターエフェクト 文字 テンプレート, 化学療法 略語 英語, 海外セレブ プチプラ ファッション, 名刺入れ レディース 30代, ジョジョ 名言 長文, 東芝 石窯ドーム 角皿, 過去完了進行形 例文 簡単, ギター 初心者 おすすめ, パラサイト 半地下の家族 映画館, 折り紙 箱 六角形 一枚, ノーサイドゲーム 滝川 学生時代, エクセル 数式 コピー 固定, 折り紙 コースター 桜, Countif 部分一致 セル参照,

コメントを残す

前の記事

ハートのぶどう