中曽根康弘 外交

株式会社光文社Copyright (C) Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved. 、中島琢磨/編 歴代首相で最多の78か国・地域を訪れ、文字通り「地球儀を俯瞰する外交」を続ける安倍首相だが、その外交手腕をどう評価すべきなのか。米国一辺倒と揶揄され、日韓関係は最悪、対露交渉も遅々として進まない。政権復帰7年目、正念場の安倍外交を識者に採点してもらった。. 中曽根元首相死去:業績は「外交は満点・内政は零点」 / 中曽根元首相死去。「外交満点、内政零点」というのが私の評価である。外交については、フランス語、英語の両方ができてサミットでも主導権を取れた。 ただし、韓国に歴史認識問題で譲歩しすぎたのは汚点。 中曽根康弘「長寿の秘訣」』(光文社)が発売中。大勲位の健康法まで詳述されている。. 日常的な身の回りの出来事から、世界を揺るがすニュースまで、本が扱うテーマは森羅万象。四季折々の年間イベント、仕事、暮らし、遊び、生きること、死ぬこと……。さまざまなテーマに沿う本の扉をご用意しました。扉を開くと読書の興味がどこにあるのか見えてきます。, 〈とんぼの本〉は、1983年の創刊。 美術、工芸、建築、写真、文学、歴史、旅、暮らしをテーマにしたビジュアルブック・シリーズです。, 一冊の本には、他のいろいろな本とつながる接点が隠れています。100年前の物語や、世界の果ての出来事と、実は意外な関係があるのかもしれません。本から本へ、思いがけない出会いの旅にでてみませんか。どのルートを選ぶかは、あなた次第です。, 中曽根康弘/著 Kindle 端末は必要ありません。無料 Kindle アプリのいずれかをダウンロードすると、スマートフォン、タブレットPCで Kindle 本をお読みいただけます。, 戦後外交の流れを全て知る大政治家が、気鋭の研究者七名とのインタビューを通し、首脳間で交わされた激論の真相や外交交渉の裏側を語り尽くす。, 全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。, さらに、映画もTV番組も見放題。200万曲が聴き放題 Copyright © 2020 SANKEI DIGITAL INC. All rights reserved. 中曽根の対米外交の再評価 〜 上 高 司 序 論-中曽根就任時の国際情勢と日米関係1 中曽根政権発足時の国際情勢は米ソ冷戦の真っロバ中にあった。ソ連では、八二年十月十日にブレジネフソ連共産 、昇亜美子/編 、服部龍二/編 newsポストセブン 「大勲位」中曽根康弘・元首相は5月27日に100歳の誕生日を迎えた。背筋をピンと伸ばし、いまなお、決して椅子の背もたれに体を預けようとはしない。 中曽根康弘/著 、中島琢磨/編 、服部龍二/編 、昇亜美子/編 、若月秀和/編 、道下徳成/編 、楠綾子/編 、瀬川高央/編 中曽根の対米外交の再評価 〜 上 高 司 序 論-中曽根就任時の国際情勢と日米関係1 中曽根政権発足時の国際情勢は米ソ冷戦の真っロバ中にあった。ソ連では、八二年十月十日にブレジネフソ連共産 、瀬川高央/編, 常に外交の現場に居合わせ、重大な決断を下した人生を振り返り、将来の日本の指針を示す。, 終戦後、青年政治家として抗した吉田茂の対米依存外交。閣僚や党幹部の立場で取り組んだ日米安保条約、沖縄返還、石油危機。そして、首相期に築いた史上最強の対米・中・韓関係とソ連崩壊――。戦後外交の流れを全て知る大政治家が、気鋭の研究者七名とのインタビューを通し、首脳間で交わされた激論や外交交渉の裏側を語り尽くす。, 1918(大正7)年群馬県生れ。東京帝国大学法学部卒業後、内務省入省。海軍主計少佐、警視庁監察官等を経て、1947(昭和22)年衆議院議員に当選。1959年科学技術庁長官、1967年運輸大臣、1970年防衛庁長官、1972年通産大臣、1980年行政管理庁長官等を歴任し、1982(昭和57)年内閣総理大臣に就任。首相在職日数は1806日。著書に『青年の理想』『日本の主張』『新しい保守の論理』『中曽根康弘句集』『政治と人生』『天地有情』『自省録』『保守の遺言』他。公益財団法人世界平和研究所会長。, 1976年生れ。鹿児島大学法文学部卒、九州大学大学院法学府博士後期課程修了。博士(法学)。龍谷大学法学部准教授。著書に『現代日本政治史3 高度成長と沖縄返還 1960~1972』(吉川弘文館、2012年)など。, 1968年生れ。京都大学法学部卒、神戸大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(政治学)。中央大学総合政策学部教授。著書に『広田弘毅』(中公新書、2008年)、『日中歴史認識―「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010―』(東京大学出版会、2010年)、『日中国交正常化』(中公新書、2011年)など。, 慶應義塾大学法学部卒、慶応義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。博士(法学)。政策研究大学院大学客員研究員、慶應義塾大学非常勤講師。主要論文に「ベトナム戦争――パックス・アメリカーナの変容と日米関係」(『「戦争」で読む日米関係100年―日露戦争から対テロ戦争まで―』朝日新聞出版、2012年)など。, 1970年生れ。同志社大学法学部卒、立教大学大学院法学研究科博士後期課程修了。博士(政治学)。北海学園大学法学部教授。著書に『「全方位外交」の時代―冷戦変容期の日本とアジア 1971~80年―』(日本経済評論社、2006年)、『現代日本政治史4 大国日本の政治指導 1972~1989』(吉川弘文館、2012年)など。, 1965年生れ。筑波大学第三学群国際関係学類卒、ジョンズ・ホプキンス大学(SAIS)修士・博士課程修了。博士(国際関係学)。政策研究大学院大学准教授、同安全保障・国際問題プログラムディレクター。著書に『North Korea's Military-Diplomatic Campaigns, 1966-2008』(Routledge,2009)など。, 神戸大学法学部卒、神戸大学大学院法学研究科博士後期課程修了。博士(政治学)。関西学院大学国際学部准教授。著書に『吉田茂と安全保障政策の形成―日米の構想とその相互作用 1943~1952年―』(ミネルヴァ書房、2009年)など。, 1977年生れ。札幌大学経済学部卒、北海道大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学)。北海道大学公共政策学研究センター研究員。主要論文に「『ロン・ヤス』時代の平和と軍縮」(『年報 公共政策学』第4号、2010年3月)、「冷戦末期の日米同盟協力と核軍縮」(『国際政治』第163号、2011年1月)など。, Copyright © SHINCHOSHA All Rights Reserved. 、楠綾子/編 中曽根 康弘(なかそね やすひろ、1918年〈大正7年〉5月27日 - 2019年〈令和元年〉11月29日)は、日本の政治家。 中曽根康弘元首相が11月29日に亡くなった。同氏はいかなる業績を残したのか。著書『中曽根康弘 「大統領的首相」の軌跡』をものした服部龍二・中央大学教授に中曽根氏の一生を総覧していただいた。同氏の一生に迫る。 「大勲位」中曽根康弘・元首相は5月27日に100歳の誕生日を迎えた。背筋をピンと伸ばし、いまなお、決して椅子の背もたれに体を預けようとはしない。, 安倍晋三首相は「戦後レジームからの脱却」を掲げ、憲法改正、規制緩和、日米同盟の再構築など、中曽根氏の背中を追いかけてきた。いま、安倍氏は仰ぎ見る存在だった中曽根氏をすでに在職期間で追い抜いたが、国民の目に映る安倍氏の姿は“大宰相”とはほど遠い。100歳を迎えた中曽根大勲位は日本の政治の現状について、こうコメントを発表した。, 〈時代の抱える問題と課題に対し政治の責任を自覚し、勇断を以って確りと役割を果たしていくべきだ〉, 史上初の米朝首脳会談を控え、安倍首相は6月7日に緊急訪米してトランプ大統領との首脳会談に臨む。「日米同盟の強化」を公約に掲げて首相に返り咲いた安倍氏は、民主党政権時代に悪化した対米関係の改善に取り組み、とくにトランプ大統領とは「強固なシンゾー・ドナルド関係」を確立した。, なにしろ、安倍首相はトランプ大統領がやることなすこと全部ウェルカム。米朝首脳会談開催が公表されるといち早く歓迎を表明したかと思うと、会談中止を言い出した時も即座に、「大統領の決断を支持する」と賛成。再び会談開催に傾くと「トランプ氏を引き込んで圧力をかけ続けてきた結果だ」(菅義偉・官房長官)と我田引水を交えて賛同した。こんななりふり構わぬトランプ追従は、他国の首脳には真似できそうにない。, 安倍首相がモデルにしているのが中曽根外交だ。1982年、首相に就任した中曽根氏は「日本は不沈空母」という発言で悪化していた日米関係を修復し、ロナルド・レーガン大統領と「ロン」「ヤス」とファーストネームで呼び合う関係を築いた。, 当時、父の安倍晋太郎外相の秘書官を務めていた若き安倍氏は「首脳外交には個人的な信頼関係が重要だと学んだ」と述懐している。しかし、木を見て森を見なかったようだ。中曽根氏は昨年1月、在任時の外交記録公開にあたってこうコメントを出した。, 事実、中曽根氏は日米関係を重視する一方、サミットでは「哲人宰相」と呼ばれたフランスのミッテラン大統領の見識を高く評価して個人的親交を結び、「鉄の女」サッチャー英首相やコール西ドイツ首相とも本音で語り合う信頼関係を築いたことで知られる。, 北朝鮮との交渉も拉致問題解決もトランプ大統領に頼り切りの安倍外交にそうした心構えと近隣諸国への周到な根回しはみられない。, 亀井静香氏や石原慎太郎氏ら“応援団”からも「トランプのポチみたいな扱いをされちゃいかんぞ」と念を押される始末なのだ。これでは“トランプがコケたらシンゾーもコケる”と他国から危うく見られても仕方ない。. 、若月秀和/編 安倍総理と同じ「保守政治家」にして「改憲論者」であった中曽根康弘元総理大臣(96)。’82年、中曽根政権がスタートしたとき、日韓、日米関係は戦後最悪といっていい状況だった。同氏の秘書を20年以上務めた、田中茂みんなの党参議院議員(56)は次のように話す。, 「前政権の鈴木善幸内閣で、園田直外相が円借款を求める韓国に対し、“韓国では嫌いな相手からカネを借りたり、技術を教えてもらう社会習慣でもあるのか?”と公式の場で発言。さらに、鈴木善幸首相が“日米同盟は軍事同盟ではない”と発言し、日米関係もギクシャクしていた」, 「初動の早さ」を危機管理上の第一に挙げた中曽根は、就任早々、米国より先に韓国の全斗煥大統領に電話。訪米の直前に韓国を訪問し、日韓関係を修復した。と同時に、防衛費の増加、対米武器技術供与という“おみやげ”を手に訪米。レーガン大統領との会談は成功し、日米関係修復にも成功した。以後、「ロン・ヤス」は、戦後日米外交史上、もっとも良好な関係を持続していく。, 初動だけではない。中曽根が危機管理上、重要視したのが「柔軟性」だ。その象徴が、靖国参拝だった。’85年、歴代総理として初めて終戦記念日に靖国神社に公式参拝。だが、その翌年、A級戦犯の合祀問題が浮上すると、中曽根は即座に、靖国参拝を取りやめた。, 「当時、中曽根は“風見鶏”と揶揄されたが、“定見のある風見鶏は悪くない”と意に介さなかった。中曽根は、けっして二国間だけで外交を考えない。その裏にある国際情勢を念頭に置いていた。当時、市場経済化に踏み出した中国を西側陣営に引き込むことが戦略上重要だった。靖国参拝をすれば、良好な関係を築いていた胡耀邦総書記長が国内政治上危機に陥るかもしれない。ならば靖国参拝はしない、というのが中曽根の判断でした」(田中氏・以下同), 現在の安倍首相が、そして各国リーダーが耳を傾けるべきだろう。韓国、中国に歩み寄ったからこそ生まれた最良の日米関係。安倍政権が「中曽根外交」から学ぶべき点は多い。, 「中曽根は“総理の一念は狂気であり、権力は魔性である”と、権力が持つ恐ろしさを実感していた。魔性にとりつかれ、独断に陥る自分を戒めるために、あえて、自派ではなく、最大派閥の田中派に属した後藤田氏を官房長官に据えた。中曽根の謙虚さが、戦後稀有な危機管理能力を備えた政権を作りだした。後藤田氏は、中曽根のことを嫌いだった。でも、政権が終わった後“あんなに立派な総理はいない”と語っていましたよ」, この“中曽根康弘を最もよく知る最後の秘書”といわれる田中氏が書いた『100歳へ! 中曽根康弘は今年の春に満100歳を迎える。海軍士官として敗戦を体験して政界入りし、復興から高度経済成長、そしてバブル景気とその崩壊に立ち合った彼は戦後史の目撃者と言っていい。その哲学を回顧録で次のように語っている。 中曽根康弘が語る戦後日本外交. 【女性自身】安倍総理と同じ「保守政治家」にして「改憲論者」であった中曽根康弘元総理大臣(96)。’82年、中曽根政権がスタートしたとき、日韓、日米関係は戦後最悪といっていい状況だった。同氏の秘書を20年以上務めた、田中茂みんなの党参議院議員(56)は次のように話す。 。クラウドに好きなだけ写真も保存可能。, このショッピング機能は、Enterキーを押すと商品を読み込み続けます。このカルーセルから移動するには、見出しのショートカットキーを使用して、次の見出しまたは前の見出しに移動してください。, タイトルどおり中曽根氏が、従軍経験、一議員から総理になり、そしてその後までを語っています。多少割り引いて考えないといけないですが、それでも立派な政治家であることは間違いありません。その志の高さとリーダーシップ。素晴らしいと思いました。, 米軍の枯葉作戦に対し「私はアジア人の一人として、たいへん反感を持っていました」とも語る, 中曽根さんは首相だった当時、戦後政治の総決算を掲げ、右派的な傾向を感じていましたが、この本を読むと、いまでは中道からややリベラルレフト寄りなんじゃないかと思うほどで、それだけ日本社会の右傾化が進んだんだろうな、と改めて感じました。それは、こうした考え《実際に戦争へ行った総理大臣は私だけです。佐藤栄作のように鉄道省にいて中国に赴任していたのはいるけれど、大平でも戦地には行ってないですね》(p.408)というあたりからきているのではないか。フィリピン、インドネシアへの上陸作戦に参加し、刑余者だった戦友を戦闘で亡くし「友を焼く 鉄板を担ぐ 夏の浜」という絶唱を残しているぐらいの激しい戦闘を経験していますから。, 時の総理大臣が、戦後の国際関係をどう認識し、日本をどう方向付けようとしたか、率直に語られている。米中冷戦構造の時代、多くの教訓がある。中曽根さんの志が伝わっってきた。, 中曽根さんはタカ派なんだろうと思っていましたが、この本を読んでみて、意外や、バリバリのタカ派ではないということがわかりました。中曽根さんの考え方や行動にすべて賛同できるわけではないのですが、それでも、氏なりの「これをやりたい!」「日本をこういう国にしたい!」という強い気概が感じられ、最近の(とくに民主党政権の)ふわふわした政治家とはまったく違うなと思いました。やはり戦地で生きるか死ぬかの体験をし、親しい仲間を戦争でなくした、その人たちの分まで、という思いの表れでしょうか。この本を読んだだけで、戦後の外交史がすべてわかるわけではありませんし、また中曽根氏の目から見ての外交史をということでひいきめもあるでしょうが、日本の戦後外交史をおさらいするには、よくまとまった本だと思います(巻末の年表は、今後もなにかと役に立ちそうです)。★4つにしたのは、インタビューされた方に、もう少し突っ込んで質問をしていただきたかった箇所がいくつかあったからです。それにしても、資料を見ながらかもしれませんが、中曽根さんの記憶力のよさにはびっくりします。サミットでのレーガンやサッチャーとのやりとりも興味深いものがありました。, 多くの問題を抱える日本の政治、その中でも弱腰だといわれる日本の外交についてよくわかりました。今度の衆議院選挙の参考にします。, 商品詳細ページを閲覧すると、ここに履歴が表示されます。チェックした商品詳細ページに簡単に戻る事が出来ます。, © 1996-2020, Amazon.com, Inc. or its affiliates. すべての画像・データについて無断使用・無断転載を禁止します。, 本書の内容をひと言で言えば、「戦後日本外交についての生き字引」である。語り手その人が、そう呼ばれて然るべき人物であるからなのだが、「戦後日本」という時代を生き抜いてきたその人物が、子や孫とも言うべき新進気鋭の7名の研究者相手に、忌憚なく、そして縦横無尽に語っている。. Amazonで中曽根 康弘の中曽根康弘が語る戦後日本外交。アマゾンならポイント還元本が多数。中曽根 康弘作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また中曽根康弘が語る戦後日本外交もアマゾン配送商品なら通常配送無料。 、道下徳成/編

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