日航機墜落事故 横田基地

今回は菊容子と藤沢陽二郎の関係や●された事件あるいは周辺の情報について調べていきますので最後までご覧いただければと思います。... 今回は信濃町と創価学会の関係について調べていきます。実は危険なのではないか?あるいはやばいのではないか?ということが言われる... 今回は瓜田純士と所沢のタイソンそしてワンターレンについて調べていきます。情報が少なくわからないこともありますので、わかる限り... 今回は福知山線脱線事故について僕なりに感じることを書いていきます。最初にお断りいたしますが、僕の主観や解釈が多めになっていま... 今回はチーマーについて気になることを調べていきます。結構前の話なのかもしれませんが、今現在も多くの人が関心を持っている内容で... 今回は高知県小学生水難事故という闇の深い事件について調べていきます。この事件は調べれば調べるほどにおかしな点があります。そん... 今回は与沢翼の現在について調べていきます。また過去に一体どういうことをしていたのか?ということについても調べていくので最後ま... 今回は警察庁長官國松孝次が狙撃されたという事件について調べて僕の思うことを調べていきますので、最後までご覧いただけると嬉しい... 今回は創価学会の結婚に関する様々な噂について調べていきます。僕もそうですが、実は創価学会という宗教や結婚という内容に関しては... 今回は三浦春馬の母についての様々な噂について調べていきますので、最後までご覧いただければと思います。ということでさっそく書い... 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。, 中曽根康弘は日航機墜落事故の真相を言わずに墓場まで持って行った可能性1000%です!, 日航機墜落事故の真相を知っている自衛隊員はその重圧に耐えきれずに自●していったのではないか?. (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); この世の中には表と裏があります。そして実は日航機墜落事故というのは520名という多くの人が亡くなった悲惨な事故と言われています。多くの人が亡くなったということは事実ですが、実は事故ではなく事件だったのではないか?というようなことが昔から言われています。少しこのことは内容が難しいのですが、僕もずっと気になって調べていました。そして青山透子という人の本を読んで僕なりの考えをもちました。この青山透子という人はもともとキャビンアテンダントで自分の同僚がこの日航機墜落事故で亡くなったということで自分の人生をかけて本気で調べて本を書きました。いわばこの事故のタブーは国家権力ということです。そこに人生かけて臨むということそして様々なことの情報を調べていて、ものすごい説得力だ思います。僕はこの青山透子の本を読んだ情報や別に調べた情報を組み合わせて今回この日航機墜落事故のタブーに様々な角度から切り込んでいきます。まず最初に気になることがあります。, まず123便が御巣鷹山というところに墜落しましたが、この時にアメリカのヘリ援助が来たという情報がありますが、このアメリカのヘリ援助をなんと自衛隊が断ったという情報があります。この段階でおかしいですね。なぜアメリカのヘリの援助を自衛隊は断ったのでしょうか?実はこのことには明確な理由があると僕は思います。そのことについては記事文中で触れていきます。まずこのおかしな点がひとつあるということです。続いていきます。, 実は123便が墜落する直前になんと自衛隊の小型機がこの123便を追従していたという目撃情報が多数あります。地元の人が何人もこの123便の後に自衛隊の小型機が追従していたという目撃情報があるにもかかわらず、この墜落事故が起こった際にニュース等ではどこに落ちたということが分からないという意味不明な報道が出ていました。自衛隊は123便を追従していたのでどこに落ちたのかということはわかります。また地元で123便が墜落したということをマスメディアに報告しても全く相手にしてもらえなかったとも言われています。あきらかにおかしいですね。つまりここに何かを隠しているということです。いったい何を隠していたのでしょうか?ということについて順番に調べていきます。, 自衛隊は123便が墜落した場所をあえて隠していたと考えられます。そしてこの時間が約12時間あると言われています。このことについて憶測になりますが、この12時間で123便にあたったオレンジエアーというミサイルの証拠隠滅をしていたという可能性が極めて高いということです。もっと詳しく言いますと自衛隊の特殊部隊と自衛隊がこの証拠隠滅あるいは偽装工作をしていたと考えられますが、その際にある問題がおこりました。そのことについて書いていきます。, この日航機墜落事故の当日になんとnhkの報道で自衛隊内部で銃撃戦がおこったという報道が出ましたが、この詳細に関してははっきりとわかりませんが自衛隊内部で何かしらあったのではないか?と僕は思います。もしかしたらこの後に各特殊部隊と自衛隊の人間が銃撃戦をしたということかもしれません。ここらへんははっきりとわかりません。続いていきます。, よく日航機墜落事故に関して自衛隊が射殺されたということが言われますが、このことに関してもある理由が考えられます。自衛隊の中には国籍をもたないヤタガラスという特殊部隊がいるといわれています。この国籍をもたない特殊部隊が実はオレンジエアーの処理をしていた際にその後自衛隊員がきて、動くなということが言われているにもかかわらず動いた自衛隊員が射殺されたのではないか?ということが言われています。考えられる可能性はこの特殊部隊のヤタガラスがオレンジエアーの処理をしていたところに自衛隊員がきたことでもめあって●されたということであればつじつまがあうのではないか?と考えられます。また日航機墜落事故でよく亡くなった人の遺体が黒焦げだったというようなことも言われますがこのこともこの特殊部隊のオレンジエアーの後処理が関係しているのではないか?ということです。事故現場にオレンジエアーの証拠や痕跡が残っているといけないということからこの自衛隊の特殊部隊が現場を特殊な薬品を使ってすべて焼き尽くしたと言われています。その際に亡くなった人も一緒に焼かれて黒焦げになったのではないか?と言われています。ちなみにここまでいくと事故ではないと考えられます。このようなことからきっと日航機墜落事故は事件だと言われるんじゃないかな?と僕は思います。さらにおかしな点について触れていきます。, 日航機墜落事故で関心が集まる内容ですが、なぜ123便は横田基地に行かなかったのか?ということが言われます。このことを別の解釈では, とも言われますが、このこともオレンジエアーが関係しているということです。もしも横田基地にいけば123便にオレンジエアーというミサイルが当たったということが分かってしまいます。そのことから123便は横田基地にいかず御巣鷹山に墜落したということが考えられます。そして御巣鷹山に墜落してオレンジエアーの証拠隠滅を図ったということでしょうね。さらに日航機墜落事故に関してかならず名前が挙がる人がいます。そのことについてここから触れていきます。, 日航機墜落事故に関してかならず名前が挙がるのが中曽根康弘です。そして中曽根康弘は墓場までもっていくといって死去していきました。もちろん僕は中曽根康弘本人ではないので真相は分かりませんが、考えられる可能性は中曽根康弘は123便に自衛隊のオレンジエアーというミサイルがあたったということを言わずに死去したという可能性が極めて高いということです。中曽根康弘は123便にオレンジエアーが的中したということをいったら事故ではないということを認めるということですから、そのことだけはなんとしても言いたくなかったんでしょうね。しかし最後に僕の感想を書きます。中曽根がどんなに口をふさいでもこの可能性が極めて高いということになることについて書いていきます。, 実は日航機墜落事故の一年後に自衛隊員が2人自●しています。そしてその後に約90人の自衛隊員が自●しています。このことは何を意味するのでしょうか?もちろん確証はありませんが、自衛隊のオレンジエアーというミサイルが123便にあたったことで乗客520名が亡くなってしまった。そして自衛隊の人はそのオレンジエアーの後処理もしていたということから、その重圧やプレッシャーに耐え切れずに自●したのではないか?ということが考えられます。誤解されないように最後に書きますが、この日航機墜落事故というのは自衛隊のミサイルが全く関係ない一般人が乗っている飛行機に的中した。そしてそのことを隠蔽するために様々な力が裏で動いていたということだと僕は解釈しています。相手が国家権力ということなので真相がなかなか明かされませんが、そんななか青山透子という人の人生をかけての行動である程度のところまでみえてきたのではないか?と僕は思います。証拠や確証がないだけで今回僕が書いた内容というのがこの事故あるいは事件の真相だと思います。ということで今回の記事はここで終わりです。最後までごらんいただきましてありがとうございました。. そして、この事故には、発生直後から各方面から様々な疑問点が噴出し、政府や自衛隊をも巻き込んだ、想像を絶する大陰謀論へと発展していきました。, とくに遺族からは国土交通省に幾度も再調査の依頼がなされていることから、当時の政府からの説明では納得出来ないという方がほとんどなのです。, 本記事では、この『JAL123便墜落事故』の恐るべき真相に迫っていきますが、前情報として以下の動画がうまくまとめられていますので、ぜひご視聴の上本記事をご覧いただければと思います。, 1985年8月12日18時羽田空港発、大阪伊丹空港行きのJAL123便は、定刻より12分遅れで離陸しました。, 18時24分、相模湾上空辺りで機内で爆発音がし、客室は白い霧が一瞬立ち込めましたが、それはすぐに消えました。, スチュワーデス(客室乗務員の当時の名称)達は冷静で、マスクの付け方や、酸素が出ていないマスクのチェックを行っていました。この時点で、スチュワーデス達が歩ける状態であったことがわかります。, その後は、飛行機の操縦に欠かせない油圧系統が4つ共総て効かないという状態になりました。, そして、同時に機体が「uncontrollable(操縦不能)」であるとも伝えたので、事態を重く見た管制官は、日本語でのやり取りを許可しています。, この時、コックピットにいた機長、副機長(当日機長試験を受ける為に、機長席に座っていました)、機関士の3人は、何が原因なのかわかっていませんでした。, しかし、油圧で飛んでいる飛行機の油圧系統4つが、総て効かないというのは、車が坂道でブレーキが効かない状態と同じです。, 機長達は、それからは、ダッチロール(左右の揺れ)やフゴイド運動(上下運動)を繰り返す機体と闘いながらも、羽田へ向かって懸命に機体を操縦しようと試みました。, 羽田より近いアメリカ軍の横田基地からも、いつでも着陸可能の電信が何度も届きましたが、現在公開されているボイスレコーダーには、それへの応答は残っていません。, 横田基地への着陸を諦めたのか、当日の積乱雲や強い風の為か、123便は群馬の山岳地帯へと飛行して行き、18時56分30秒に群馬県上野村高天原山の、通称御巣鷹山に墜落しました。, この便は、普段から通勤に利用される便の上、お盆の帰省客も重なり、犠牲者の中には、一企業の社長や役員、また歌手の坂本九さんや元タカラジェンヌで美人女優の北原遥子さんなどの有名人が含まれていました。, また、子供VIPというJALのキャンペーンがあり、1人で乗っていた小学生位の子供達12人もいました。, 123便の機体は、1978年に伊丹空港の着陸時に機体後部を滑走路にこすったことがあり、その時圧力隔壁にも亀裂が入りました。, この事件では、当初から専門家やジャーナリストからさまざまな疑問点や不審点が指摘されていました。, その中で、最も大きな問題は、123便が墜落してから救助隊が到着するまで、13時間も掛かっていることです。, 何より墜落した現場近くの住民達からの連絡や、アメリカ軍からの墜落位置の情報があったにも拘らず、どうしてすぐに救助に向かわなかったのでしょうか。, これについては、実に様々な推測が為され、またその中には信じられないような理由もありますので、後程改めて取り上げたいと思います。, 123便が墜落したのは19時少し前。真夏の関東地方のことですから、薄暗い位の時間帯です。, 当然御巣鷹山近くの、群馬県上野村の人達等は、まだ畑で作業をしていた人も多く、落ちた地点を正確に警察に伝えています。, ところが、テレビでは、現地からの電話を無視するように、長野県佐久郡北相木村や御座山(おぐらさん)に墜落、と警察が会見し、報道陣は一斉に長野県の御座山へと向かいました。, ところが、事件から10年後、軍を離れたアメリカ人の元中尉マイケル・アントヌッチ氏が、当日の模様をアメリカの新聞に話しました。, それに依ると、飛行中123便が日本語で管制塔と応答しているのを聞き、これは一大事が起こっていると気づき、19時15分に山が燃えているのを確認したので、横田基地と連絡をすると、そのままその位置で情報収集するように指示されました。, そして、現場に到着した海兵隊員のうち2人をウィンチで地上に降ろそうという正にその時、基地からの命令で、直ちに基地へ戻るように言われたのです。海兵隊にも同じ命令が下りました。, 基地へ戻ると、労いの言葉と一緒に、今日あったことは他言しないようにとの命令も下されたのです。, つまり、自衛隊も日本政府も、アメリカから墜落場所の正確な位置を知らされていたことになります。, 「アメリカ軍から連絡があったのは知らない。暗い中で、(救助の為に)降下するのは自殺行為」, 次はアントヌッチ氏の救助に関する証言と、自衛隊司令官がそれに対して発言している動画。, そんな時に、自衛隊の不始末で520名もの人命が失われたと聞いたら、国民の大反対にあうことは明白でしょう。, それで、自衛隊の不祥事を隠そうとして、救助より何か策を講じたのではないかとの疑問もあとをたちません。, しかし、相模湾の海底捜索は、予算との兼ね合いからほんの一部を回収しただけで、肝心の垂直尾翼を引き上げずに終えてしまいました。, 当時の中曽根首相は、「どんなにお金をかけても、原因を究明する」と言っているのに、です。, また、2015年には、相模湾海底で123便の残骸である可能性が高い部品が発見されました。, しかし、それを引き上げようという声も上がらず、調査したANNですら一度の報道で済ませてしまいました。, どのようにして垂直尾翼がちぎれて飛んだのか、がわかれば、事故の原因や再発を防ぐ手立てにも役立ちます。, そこには、黒い物体が写っていました。他の飛行機だろうかと思って撮った物でしょうか。, ここから、以前からも言われてきたことですが、自衛隊の無人標的機が123便の垂直尾翼に当たったのが原因ではないか、という説が根強く疑われています。, 無人標的機は当時オレンジ色に塗ってあったのです。また、事故当日は自衛隊が静岡県沖でミサイル訓練をしていました。, 更に、ある自殺した自衛隊員が仲間に託した写真には、相模湾から引き揚げられた123便の一部に、オレンジ色が付いていました。, 因みに、この時に引き上げられた機体の残骸は、そのままJALの倉庫にしまわれたままです。, オレンジ色、は自衛隊の中では禁句であり、絶対口外無用の命令に、良心が耐えられなくなったのでしょうか。, もし、当時相模湾から垂直尾翼を引き上げていたら、そこにオレンジ色が付いている可能性はかなり高そうです。それで、事件後1年10か月が経った時点で、海底捜索は打ち切ることにしたのでしょうか。, 事故原因は、機体後部で機内の気圧を保つ圧力隔壁の破損に依り、機内の空気が一気に垂直尾翼や機体後部に噴出した為に、垂直尾翼が吹き飛んだものとされました。, 機体後部と垂直尾翼に油圧4系統が総て装備されているので、これで操縦が不可能になったと考えられます。, しかし、もし垂直尾翼が吹っ飛ぶ程圧力隔壁が破損したのなら、客室内では、まず真っ白な霧が立ち込め、乗客達の耳は痛くなり、空気が後ろへ向かって噴出するので、色々な物が飛び散るはずです。しかも温度はー20℃~-25℃に下がるので、酷い寒さを感じるはずです。, ところが、生存者の証言では、白い霧も一瞬で消え、気温の変化はなかったということです。スチュワーデスが歩いて座席を回っているのですから、物が飛び散るという現象も無かったようです。, つまり、生存者の証言からわかることは、もし、圧力隔壁に破損があっても、それはごく小さなものだったと言えます。ましてや、垂直尾翼が吹き飛ぶような大きな空気の流れは無かったのです。, 当初、アメリカのメーカーであるボーイング社は、自社に責任はないと言っていましたが、突然、しりもち事故の際の圧力隔壁の修理にミスがあったことを認めました。, これは、事故の原因を圧力隔壁の修理ミスにして、この123便固有の事故にする為だと思われます。, それ以外に原因が見つかった場合、全てのボーイング社の旅客機を調査する必要も出てきますし、ボーイング社に乗るお客さんも激減することでしょう。, 日本の検察もまず修理をした人達を探し、その中の3名を何とか起訴しましたが、結局その他日航の責任者達も全員不起訴になっています。, また、人間は気圧の変化に弱く、もし123便で“急減圧”が起きたら、酸素不足で思考力の低下や手足の動きも思い通りにならなくなりますが、事故調査委員会が行った実験では、そういうことは無いことになっています。, しかし、コックピットにいた3人はボイスレコーダーの声が籠っていないことから、酸素マスクを着けていなかったことがわかっています。, 急減圧が起きたなら、酸素が不足し、-20℃の寒さの中、とてもそれから20分以上に亘って言うことを効かない飛行機を操縦することは不可能です。, ボイスレコーダーは事故後、文章で紹介されましたが、2000年にあるジャーナリストがカセットテープの形で入手し、世間に公開されました。, それは、やはり原因は「圧力隔壁破壊説」ありきであったことです。それを妨げるような会話が出ては困るので、或いは会話を前後させ、或いは出てはマズい会話は消す、といった作業をしているのです。, 先述の通り、自衛隊は2機の偵察機を飛ばしていますから、当然123便を見つけたはずです。, その時、既に自衛隊に依る大失策は隠ぺいするという、政府の方針が決まっていたと思われます。, そして、上野村立小学校では、校長先生が、事故当日見たことがあれば作文するように指示し、それが今でも文集として残っています。, そして、家に帰って少し経って7時のニュースを見たら、日航機墜落事故のことを報道していました。墜落した時刻は6時57分頃とニュースは言いました。, 多くの子が、123便が墜落する18時56分より前に、ジェット機と飛行機を見ています。はっきりジェット機2機と書いている子もいます。, 新聞に載った現地の方の話の中には、赤い炎を上げながら飛んでいた、とか、飛行機は炎を上げながら飛んで行った、というものもあります。, 飛行機が墜落する前に閃光が走ったり、2機のジェット機だけが埼玉方面へと飛んで行ったというのは、ジェット機からミサイルが発射され、証拠隠滅の為に, これらから、機長は自衛隊のジェット機のパイロットとも話していたのではないかと思われます。, 操縦で大変な中、短い言葉で管制塔ともやり取りをしていたの、急に敬語になる部分があるのです。, これを聞いた管制塔では、話が噛み合わないので、「なんですか?」と聞き返しています。, この敬語の会話の相手こそ、自衛隊のジェット機のパイロットではないかと言われています。123便の機長は、元々は自衛隊のパイロットでした。その後、民間機のパイロットとなり、日航に勤めるようになりました。, それだけに、自衛隊の中の厳しさや命令に対しては絶対服従、ということが身についていたのでしょう。, 恐らく機体に残る証拠(オレンジ色)もみ消しの為に、自衛隊のパイロットは横田基地への着陸を許可しなかったのだと思います。, それでも機長は、乗客を守る為、長野県のレタス畑を低空飛行しています。もしかすると、平らなレタス畑に着陸を試みたのかもしれません。しかし、生憎夏でまだ薄明るかった為、レタス畑では、まだ農家の方達が作業をしていました。それで、着陸を諦めたのかもしれません。, 飛行機の燃料は、ケロシンと呼ばれる灯油に近い物で、飛行機が飛ぶ10,000mでも凍らないのが特徴です。, しかし、一番に生存者を見つけた上野村の消防団の方達は、現場はガソリンとタールの臭いがした、と言っています。そのような臭いは、飛行機燃料からは発しません。, また、4人の生存者は、機体後部に乗っていたのですが、後部がちぎれて沢を滑り落ちたので、他の部分と違い、火災に巻き込まれずに済みました。, 墜落後、生存者の方の証言では、多くの人達のうめき声や、子供の「ようし、僕は頑張るぞ」というような声があちらこちらから上がっていたそうです。, これは、火炎放射器等を使わなければ、ここまで炭化しない、という程の焼け方だったのです。, 火炎放射器やナパーム弾は、身体に着くといつまでも燃え続けるという特徴があります。燃焼性と持続性が極めて高いのです。, おまけに、炭化した遺体が接している樹は全く焦げてもいない、遺体を裏返したら、全く焼けていなかった、また機長などは下顎の部分しか見つかりませんでしたが、制服は殆ど焼けていない、といった不可思議な点が多いのです。, もし、もっと早く、日本の警察や自衛隊がアメリカ軍から聞いた墜落位置に行っていたら、生存者はもっと多かったに違いありません。, アメリカ軍から123便の墜落位置を聞いていたにも拘らず、機動隊、警察、自衛隊に依る救助は朝まで行われませんでした。, しかし、地元の住民達は、テレビの報道に諦めをつけ、自分達で現場へ向かった人もいました。, その中の1人は、Mさんと呼ばれていて、事故があってからすぐ、友人2人とバイクで御巣鷹の山頂を目指しています。彼らの後ろから白バイがついてきたところをみると、警察も御巣鷹山が現場であることを知っていたとしか思えません。, Mさん達が急峻な山道を7時間ほどかけて登ると、もう辺りは夜が白み始めていたので、朝の4時前後ではなかったかということです。, 警察より先に現場に到着すると、そこでは、なんと自衛隊員が100人近くいたそうです。, しかし、うめき声を上げる生存者には構っていなかったので、Mさん達は負傷者の場所と手当てを頼んだそうですが、自衛隊員は、, と言うだけで、地面に落ちている物を拾っては大きなバッグに入れて、尾根の反対側にホバリングしていたヘリコプターに吊り上げていたのです。, 100人近くの自衛隊員の半分でも、生きている人達の手当てをすることはなく、ただただ、暗視ゴーグルで地面に落ちている物を拾っていたというのです。, 13日朝7時頃から、本格的な救助が始まりましたが、その時には、もう現場では誰の声もしませんでした。, その前に、Mさん達が朝の5時頃に下山を始めた時に、もう生存者のうめき声はもうしなくなっていたそうです。, 生存者4名を発見し、救助したのは、自衛隊や警察ではなく、上野村の消防団の方達です。そして、4名の方々は機体からちぎれた為、夜中のうちに作業をしていた自衛隊員に見つからなかった、という不幸中の幸いだったと言えるでしょう。, 一体、Mさん達が見た、指が1本しか取れていない人や、火災に巻き込まれていず、うめき声を上げていた人達は、どうして皆一様に炭化するまで、徹底的に炭化したのでしょうか。, 災害時に、命がけで被災者を助ける自衛隊が、そういう人達を放っておいて、何を拾っていたのでしょうか。, そして、遺体は飛行機の燃料(灯油)で、何故あれだけすっかり炭化してしまったのでしょうか。, 恐らくは、123便の機体に着いたオレンジ色の残骸を、暗視ゴーグルで探して拾っていたものと思われます。, 遺体が炭化する程現場が暑ければ、自衛隊員達も目的の物を拾うことは出来なかったはずです。つまり、彼らは命令を遂行した後で、遺体をまだ息のある乗客も含めて、焼き殺したのではないかという疑問が湧きます。, 顔を隠すようにした手や、自衛隊員に抱えられて曲がった膝等、相当なダメージは受けていますが、生きているように見えます。それだけに、自衛隊員もしっかりと抱いているように見えます。, 実は、この少年以外にも、少年や少女も目撃され、特に少年に関しては、この写真の少年ではないかもしれませんが、自衛隊員が無線で少年が一人生きている、と本部に連絡しているのです。, この事故で、自分のお子さん2人と、親戚3人の併せて5人を亡くした小田周二氏が書いた「524人の命乞い」という本があります。, 題名を見ただけで、やりきれない気持ちになりますが、小田氏は親族を亡くしたこの事件を、実に冷静に細かく検証し、123便が横田基地にも、レタス畑にも着陸させてもらえなかったこと、最後には自衛隊のミサイルで撃墜させられたことを書き上げました。, ボイスレコーダーの機長の「uncontrollableです」という言葉から、123便が「操縦不能」に陥ったと思っていませんか?, ところが、123便は、エンジン出力の微調整で「ライトターン(右回り)」も「レフトターン(左回り)」も出来ています。, 降下出来なかった際も、機関士がギア(車輪)を下ろして、その重量と空気抵抗で機体を下げることを提案しています。, 油圧が効かないので、「ダメだ、下りない」という機長に対し、機関士は「オルタネート(代替装置)で」と別の方法を挙げています。, 機関士は一番落ち着いていたと、事故の翌年に「墜落の夏」を刊行した吉岡忍氏も書いています。, この後も、フラップの上げ下げを提案し、「ダメだ」という機長に対し、「いや、オルタネートで」と答え、自分で操作をしています。, 操縦桿を握りっぱなしの機長・副機長より少しだけ余裕があったとも、機械関係のベテランだったからとも言えるかもしれません。, 実際123便はコックピットの3人が知恵と力を振り絞って、飛行していたのです。羽田より近い横田基地まで、実際に向かっていました。, だからこそ、車輪も出ていたのですから、怪我人や死者も出たかもしれませんが、横田基地に不時着も可能だったのです。, 一体この事故は何がどうなったのか、隠された部分を知りたい方にはお薦めの本です。内容は、あくまで小田氏の解釈ですが。, ボイスレコーダーの最後の方の、機長の激しい息遣いは、自衛隊のジェット機のパイロットとの会話の後なのではないかと推測しています。, もしかすると、機長は強硬に横田基地へ着陸しようとしたかもしれません。しかし、123便はジェット機2機に追尾されていたのです。, また、実際に上野村の子供達も飛行機が燃えながら落ちた様子や、飛行機に向かって閃光が走っているのを見ています。, 123便の尾翼に何かが当たって、墜落した、というのは、都市伝説だという人達も大勢います。, その人達は、まず尾翼の部分を見て、その壊れ方から、これは外部から物が当たったのではなく、内部から破裂したのは間違いない、と言います。, しかし、それは、相模湾に8割方沈んだ尾翼と両方を見てからでないと、出ない結論ではないでしょうか。, しかし、圧力隔壁は、事故後たった3日で、山から降ろす為ということで、カッターで幾つにも切られてしまいました。, これでは、元々の破損部分を切ってしまった可能性もあります。それでは、本当の調査が行えるのでしょうか。, 本来ならば、事故後すぐに相模湾から尾翼を引き上げ、事故の原因をきちんと調べることが必要でした。, しかし、何らかの大きな、そして、普通の人間ならば、良心があるので絶対に出来ないことを、既に、誰かが命令することが出来る国が日本だったのです。, 日本は平和ボケという一言では済ませられませんが、今では1985年当時よりももっとそのようなことが通用している社会になっているような気がしてなりません。, 修理ミスを犯したボーイング社の飛行機は、この事故の後、もっぱら日本が購入しています。当時日米の貿易摩擦があったとしても、こんな大きな事故を起こした会社を信頼出来るでしょうか。, しかし、外国ではエアバス等が主流だったのに対し、日本はボーイング社一辺倒です。これにも納得がいきません。, いつの日か、JAL123便に起こった真実が白日の元に晒されることを、願わずにはいられません。, 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。. カレイドスコープさんより リンク その最大の秘密が、1985年8月12日に起きた日航123便の墜落事故だ。 中曽根内閣がしつらえた事故調は、整備不良による圧力隔壁の損傷で旧減圧したことが原因とした。 いっぽうで、相模湾の海底から123便の垂直尾翼の一部が発見された。 -日航123便は垂直尾翼、油圧を失っても、長い時間、操縦出来た。飛行出来た。 即ち、横田基地に緊急着陸出来たのである。それは 乗客乗員524人全員を助ける唯一の手段であり、方 策であった。然し123便は全員の命が助かる唯一の方策::緊急着陸を自ら放棄するだろうか。 NEWSマン 米軍NEWS」, イカロス出版 Jwing No.8 1999年4月号 89頁 「行くぞ!NEWSマン 米軍NEWS」, イカロス出版 Jwing No.11 1999年7月号 96頁 「行くぞ!NEWSマン 米軍NEWS」, イカロス出版 JWing No.30 2001年2月号 96頁 「行くぞ!NEWSマン 事故」, イカロス出版 JWing No.34 2001年6月号 97頁-98頁 「行くぞ!NEWSマン 事故」, イカロス出版 JWing No.70 2004年6月号 96頁 「行くぞ!NEWSマン 米軍NEWS」, イカロス出版 JWing No.74 2004年10月号 95頁 「行くぞ!NEWSマン 自衛隊・国内NEWS」, イカロス出版 JWing No.76 2004年12月号 104頁 「行くぞ!NEWSマン 米軍NEWS」, イカロス出版 JWing No.80 2005年月4号 99頁-100頁 「行くぞ!NEWSマン 米軍NEWS」, イカロス出版 JWing No.86 2005年月10号 110頁-111頁 「行くぞ!NEWSマン 米軍NEWS」, イカロス出版 JWing No.92 2006年月4号 92頁 「行くぞ!NEWSマン 米軍NEWS」, イカロス出版 JWing No.94 2006年月6号 94頁 「行くぞ!NEWSマン 米軍NEWS」, イカロス出版 Jwing No.182 2013年10月号 85頁 「行くぞ!NEWSマン 米軍NEWS」, イカロス出版 Jwing No.220 2016年12月号 94頁 「行くぞ!NEWSマン 米軍NEWS」, https://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/201708/0010463440.shtml, https://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/201708/0010482938.shtml, ASN Aircraft accident Douglas C-54D-10-DC (DC-4) 42-72704 Tachikawa Air Base, ASN Aircraft accident Douglas C-54D-1-DC (DC-4) 42-72457 Ashiya Air Base, ASN Aircraft accident Curtiss C-46D-10-CU Commando 44-77713 Mount Tanazawa, ASN Aircraft accident Fairchild C-119C-15-FA Flying Boxcar 49-169 Tachikawa Air Base, http://www.sankei.com/west/news/160413/wst1604130070-n1.html, ASN Aircraft accident Douglas C-124A-DL Globemaster II 51-0137 Tachikawa Air Base, ASN Aircraft accident Boeing C-97C-35-BO Stratofreighter 50-0702 Tokyo, Japan, ASN Aircraft accident Douglas R5D-3 (DC-4) 56541 Okinawa, Japan, ASN Aircraft accident Boeing KC-135A Stratotanker 57-1444 Okinawa-Kadena AFB (DNA), ASN Aircraft accident McDonnell Douglas DC-8-63AF N785FT Okinawa-Naha AFB (AHA), https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-207254.html, https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-207678.html, https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-210622.html, “米軍ヘリ墜落でダム取水1年停止も 2013年宜野座、土壌から鉛やヒ素が高濃度検出”, https://ryukyushimpo.jp/news/entry-594248.html, http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/17581, “着艦失敗の原因「操作手順ミス」15年の米軍MH60ヘリ、沖縄東沖事故 報告書に詳細説明なし”, https://ryukyushimpo.jp/news/entry-557313.html, http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/116951, http://www.sankei.com/affairs/news/161208/afr1612080008-n1.html, 沖縄県名護市沖におけるMV-22オスプレイの不時着水に関する米軍事故調査報告書について, http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/75788, http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/80754, https://ryukyushimpo.jp/news/entry-457640.html, http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/89646, 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2日前に墜落した米軍機を捜索していた1名乗りジェット機と4名乗りヘリコプターが行方不明となった, 8月29日 - 岩国基地所属のAD-6攻撃機が羽田空港で離陸に失敗して墜落。飛行機は大破炎上し乗員1名重傷。, 7月20日 - 読谷補助飛行場上空で物資投下訓練をしていたヘリコプターが投下した、重さ約10キログラムのパラシュートつきの鉄のおもりが、風にあおられて飛行場から約1キロメートル離れた住宅に落下した。幸いパラシュートが屋根に引っ掛かりけが人などはでなかった。, 11月2日 - 横田基地の第374空輸航空団第459空輸飛行隊所属のUH-1N輸送ヘリコプターが、飛行中にエンジンの燃料ポンプが故障したため、静岡県, 11月23日 - 横田基地の第374空輸航空団第459空輸飛行隊所属のUH-1N輸送ヘリコプターが、電気系統のトラブルのため, 8月5日 - 嘉手納基地第18航空団第33救難飛行隊所属のHH-60G戦闘捜索救難ヘリコプターが、沖縄県国頭郡, 12月13日 - 普天間基地所属のMV-22輸送機が、機体の不具合から前輪が出ず、. 即ち、横田基地に緊急着陸出来たのである。それは 乗客乗員524人全員を助ける唯一の手段であり、方, 策であった。然し123便は全員の命が助かる唯一の方策::緊急着陸を自ら放棄するだろうか。, それは絶対にあり得ないことである。そこに 緊急着陸をさせたくない人間がいて禁止したからだ。権力者, は自己保身のために、権力維持のために、責任回避のために 着陸を妨害したのだ。それは自衛隊最高指揮, 権限者である内閣総理大臣と防衛大臣、自衛隊最高幹部であり、その残虐、残酷性は 古代ローマの暴虐, 王::ネロ皇帝に匹敵する。近代民主主義国家:日本に於ける残虐王:中曽根康弘は 歴史に悪名を残すこと, 日航123便は誠に不運な旅客機であった。何故、横田基地に緊急着陸をさせて貰えなかったか。その端緒は相, 自衛隊百里基地の司令官は、この不祥事の報告を受けて、直ぐに偵察機を発進させて 確認させている。この司令官は偶然の事故として受け止めて、友人の同志に「えらいことをした。民間機に標的機を当ててしまった。今戦闘偵察機2基を発進させた」と重大な失態を電話で軽い気持ちで知らせている。然しこの不祥事を知らされた時の幕僚長、防衛大臣、総理大臣は驚愕し、声を失った。衝突が事故であっても、既に14年前に起きた全日空機雫石戦闘機衝突事件の実績もあり、旅客機が墜落すれば、自衛隊の最悪の不祥事として、総理、大臣、幕僚長の責任は甚大で責任を取らねばならない。 緊急の総理幹部の鳩首会議での結論は完全隠蔽であった。この決定で 乗客、乗員524人の命運が決まったのであった。, 緊急発進させた戦闘偵察機の見た旅客機の飛行状況は、驚愕の事態であった。焼津市で日航123便に追い付いた戦闘機が見, たのは、垂直尾翼を失いながら、飛行する123便は操縦出来、飛行していたことであった。その上、更に驚いたのは、機体, の腹部に赤い模様が見え、それは自衛隊の標的機の吹き流しが機体の腹部に貼り付いていたことであった。, 且つ高濱機長は横田に着陸申請し、横田は許可していた。このまま、123便を横田に着陸させると、自衛隊標的機の日航機へ, の衝突の不祥事が白日の下に晒され、自衛隊、自衛隊最高指揮権限者である中曽根総理の責任が問われて、辞任辞職となり、, このまま、日航123便が横田基地に着陸すれば、全員が助かることは間違いなかったが、自己保身、責任回避のために総理、, 助かる唯一の機会にも拘らず、その機会を奪うという非人道的、非倫理的、残虐な行為を自衛隊に命じたのであった。, 日航123便は垂直尾翼、油圧装置の破壊後、5分程度で、ほぼエンジン出力の調整で操縦が出来る見込みを得て、高濱機長らは、更に手動操縦の練習をしながら、乗客乗員の命を助けるために、最寄りの飛行場への緊急着陸を考えていたのである。, 最初、高濱機長は直ぐに羽田に帰ると告げているが、これは反射的に機長は、出発飛行場に帰ると言うものである。然し、機体の異常事態(油圧操縦自動不可)を発見して、機体の安定性と操縦性のバランスを取るには困難であると判断して、密集地の東京を避けて、周囲に人家が少ない、救助の態勢が整っている横田基地に決めたのではと推論する。, 飛行経路から見ても、羽田への東進でなく、焼津、藤枝市から、横田へ北上しており、これを裏付けるものである。高濱機長は機体の安定と操縦性の確保を行いながら、乗客、乗員の命を助けることを最優先にして機長としての責務、使命だと考える人間であった。, 彼の飛行準備がとても用意周到で、決して掛かる事態で拙速な行動を行うのでなく、確実な計画と準備で慎重に対応した。, 富士山を過ぎた頃から、高濱機長は横田基地との交信を行い、緊急着陸を申請して、横田の許可を得ている。横田基地は米軍軍事基地であって、民間機の着陸は認められない規則であった。然し、緊急着陸は例外であり、人命最優先の立場では、米軍も又、同じであり、米国人の人命最優先の慣習、考え、正義は徹底している。, この会話をアントヌッチ中尉は無線傍受を行っており、後に「緘口令」の命令が退役で切れた時点で、米軍の機関紙「星粂旗」に投稿して、驚愕の告白を行って世界を驚かした。, アントヌッチ中尉は、高濱機長が日本語での会話に切り替えたことを緊急事態だと感じて、日航123便の危険な飛行状況に注視していたのである。このような感覚、危険の察知を当時の日本の関係者、対策本部の人らが抱いて発言し行動した人はいないである。 乗客乗員524人の命の危険が迫っていたのに。, あなたもジンドゥーで無料ホームページを。 無料新規登録は https://jp.jimdo.com から, 自衛隊百里基地の司令官は、この不祥事の報告を受けて、直ぐに偵察機を発進させて 確認させている。この司令官は偶然の事故として受け止めて、友人の同志に「えらいことをした。民間機に標的機を当ててしまった。今戦闘偵察機2基を発進させた」と重大な失態を電話で軽い気持ちで知らせている。然しこの不祥事を知らされた時の幕僚長、防衛大臣、総理大臣は驚愕し、声を失った。衝突が事故であっても、既に, 年前に起きた全日空機雫石戦闘機衝突事件の実績もあり、旅客機が墜落すれば、自衛隊の最悪の不祥事として、総理、大臣、幕僚長の責任は甚大で責任を取らねばならない。, 緊急発進させた戦闘偵察機の見た旅客機の飛行状況は、驚愕の事態であった。焼津市で日航, 便が横田基地に着陸すれば、全員が助かることは間違いなかったが、自己保身、責任回避のために総理、, 機会にも拘らず、その機会を奪うという非人道的、非倫理的、残虐な行為を自衛隊に命じたのであった。, 便は垂直尾翼、油圧装置の破壊後、5分程度で、ほぼエンジン出力の調整で操縦が出来る見込みを得て、高濱機長らは、更に手動操縦の練習をしながら、乗客乗員の命を助けるために、最寄りの飛行場への緊急着陸を考えていたのである。, 最初、高濱機長は直ぐに羽田に帰ると告げているが、これは反射的に機長は、出発飛行場に帰ると言うものである。然し、機体の異常事態, を発見して、機体の安定性と操縦性のバランスを取るには困難であると判断して、密集地の東京を避けて、周囲に人家が少ない、救助の態勢が整っている横田基地に決めたのではと推論する。, アントヌッチ中尉は、高濱機長が日本語での会話に切り替えたことを緊急事態だと感じて、日航, 便の危険な飛行状況に注視していたのである。このような感覚、危険の察知を当時の日本の関係者、対策本部の人らが抱いて発言し行動し. 2 日航機墜落事故の謎①:空白の12時間について。 3 日航機墜落事故の謎②:横田基地に関する内容について。 4 日航機墜落事故の謎③:前橋地検の山口悠介検事正の発言; 5 事故後に多数の自衛隊員が自ら命をたっている件について。 今回は日航機墜落事故とトロンの関係について調べていきます。520人の人が亡くなった悲惨な事故ですが、実は様々なことが言われています。今回はその中でトロンについてこの事故との関係を調べていきたいと思いますので、最後までご覧いただければと思います。ということでさっそく書いていきます。, 実は123便には松下トロンosの技術者が17人乗っていたと言われています。名前は分かりません。このトロンというのはこの時代はウィンドウズとマッキントッシュが少しずつ知られていた中で日本が作っていたものです。osというのはオペレーティングシステムというものです。これは何を意味するのかということですが、実はこのトロンosはウインドウズの10年先を行くのではないか?ともいわれたということです。この日本製のトロンがコンピューターの歴史を変えるのではないか?とも言われていました。そして実はこのことをアメリカは脅威に感じていたと言われています。そしてこの123便にこのトロンを開発している17人のいわば天才が乗っていたということです。ここからは真相が分かりませんが、実はアメリカはこのトロンosを潰そうとしていたのではないか?ということが言われています。多くの人が感じるこの123便の事故あるいは事件の裏側がここにあると考えられます。このことを軸に考えていきます。そうなるとつじつまがあうことがでてきます。, 日航機墜落事故に関して必ず話題になる内容があります。それは救助に来るまでの空白の12時間です。123便が墜落してから12時間後に自衛隊が来ました。いったいこの12時間の間に何をしていたのか?ということが注目されます。日本の自衛隊には国籍をもたないアメリカの特殊部隊がいるということが分かっています。この空白の12時間の間に実はこの自衛隊の特殊部隊が123便にあたったと言われているミサイルの証拠隠滅を図っていたのではないか?と言われています。アメリカの中の在日朝鮮人あるいは在日韓国人の特殊部隊です。証拠がないのでわかりませんが、もしかしたらこの123便の事故がアメリカの画策であるとしたら在日米軍の自衛隊の特殊部隊がミサイルを撃ち込んでその証拠隠滅をしていたという可能性が考えられます。あくまでも可能性のある話です。ここから憶測されるのがこの事故の遺体が黒焦げなことやすべてを証拠隠滅しようとしたということがつながってきます。もしですが、このトロンosのことが関係しているのであればそのトロンosのことに関しても証拠隠滅を図ったのではないか?という可能性も考えれます。続いてこの事故の後に判明した情報があるのでそのことについて触れていきます。, 実は123便がなぜ御巣鷹山に落ちたのか?ということに関しても様々な憶測が飛び交いますが、実はこのようなことがわかっています。, 米軍の横田基地から出ていた輸送機のC130に乗っていた乗員による「アントヌッチ証言」によれば、米軍は日航ジャンボ機(JAL123機)の救助信号をいち早くキャッチし、救助の準備も出来る状態にあった。証言によれば墜落から2時間後には、現地につけたとある。 Gerd Altmann による Pixabay からの画像   目次 読了13分 人々の生活に欠かすことのできないツールとなったインターネット 新たな通信網を欲していた米軍が推し進めたネット技術 表に出ている軍事技術には何らか... この事件は様々な疑惑が存在し、事件後に事故調査委員会が下した結論である、機体後部の圧力隔壁が破壊し、そこから流出した空気の衝撃波により垂直尾翼が破壊されたとする墜落原因は、機内に急減圧が起きていないことから否定されています。, また、隔壁の破壊が起きていたとしても、そこからの空気流は音速を超えず、尾翼を破壊するだけの巨大な力は発生しないため、現在でも真相を追究する関連書籍が出版されています。, 私は陰謀の存在を肯定する立場にありますが、その理由は圧力隔壁の破壊が信じられないだけでなく、以下の点からも判断しています。, 航空事故調査委員会のメンバーが、中間報告からわずか1ヶ月後に、委員長を含めて2名が任期満了との理由で交代になった。, 相模湾で落ちたとされる垂直尾翼の大半が、回収されないまま捜索が打ち切りとなり、後に遺族らが引き上げを強く求めたが実施されなかった。, 15年後マスコミに流出したCVRは、一部が改竄されており、意図的なリークだった可能性があること。, 他にも、これから挙げていく事実に多くの不可解な点があり、真実は隠蔽されたと考えています。, よって、この大事件を隠蔽できるだけの犯人は、真実から目を逸らすために様々な偽情報を拡散しているはずであり、事件発生当時から今に至るまで、証言や物的証拠も含め、書籍、ネット、専門家などを使って至る所でミスリードをしていると考えています。, 以上を考慮すると、自衛隊が事件に深く関与していると考えられ、それを前提に本当の事故原因を追っていきます。, ボイスレコーダーに残された記録で、海上自衛隊出身の機長らが、緊急信号の「スコーク77」と発した後に「オレンジエア」と続けて交信しており、「オレンジエア」とは、海上自衛隊の隠語で誘導ミサイルや無人標的機のことであり、機体にミサイルが衝突した可能性がある。, この訓練で使用していた、仮想敵機となる無人標的機のファイア・ビーとチャカⅡが、誤って123便に衝突した可能性がある。, ファイアービーとチャカ2はオレンジ色をしており、123便の尾翼にオレンジ色の塗料が残され、事故現場にも落ちていた。, 現場で足止めをされていた上野村の猟友会や消防団は、その間ヘリコプターによってオレンジ色の物体が回収されているのを目撃している。, ただし、ファイアービーは遠州灘沖でしか使用しておらず、また「まつゆき」の訓練支援艦「あずま」は、当日は呉(広島)のドックに入っており、標的機(ドロン)を飛ばせる状況ではなかった。, これらを総合すると、自衛隊の無人標的機が誤って123便に当たり、証拠隠滅のために動いた可能性が考えられますが、在日米軍の側面から事件を検証していきます。, 無線の第一報の内容は、米空軍戦闘機が実弾ミサイルを日航ジャンボ機に命中させてしまったという情報がある。, 当時米空軍戦闘機は、日本の民間航空機を敵機と見なし、演習用の模擬ミサイル弾を発射する軍事演習を頻繁に行っていた。, 事件当日、遺族が日航の社員に詰め寄って原因を聞くと、米軍が関係しているとの証言や、北朝鮮のミサイルに撃ち落とされたと証言した。, 赤いプロペラの付いた物体が畑の上を飛び、それが123便の機体に当たり、爆発したとの証言がある。, 墜落現場では、爆発音と共に原爆のようなキノコ雲が現れ、オレンジ色の閃光が走ったという多くの証言がある。, 墜落現場付近の長野県川上村に設置されていた微小地震計は、墜落時に起きた三波の振動を記録しており、第一波と第二波は一秒ほどの僅かなものだったが、第三波は約5秒間の大きな揺れが起こり、その後10秒近く振動が尾を引く大きな波であった。, 相模湾での護衛艦「まつゆき」の訓練は、海上自衛隊だけでなく、米軍や軍事会社と共同で行われていた。, 123便を追尾していた2機の自衛隊機は、米軍機の可能性がある。自衛隊のファントムは日の丸が付いているようであるが、上空の飛行機を識別することは難しく、一般人であれば尚更である。後に自衛隊員が証言した「低空」という文言は、敢えて入れたような不自然さがあり、偽装の可能性がある。そもそも過去のファントムは、分かりやすい位置に日の丸が付いていたのか疑問が残る。米戦闘機が自衛隊戦闘機を偽装していた可能性も捨てきれない。, 意図的にボイスレコーダーから削除されていた交信相手は、米軍機であった可能性がある。, 事件直後、現場に救助へ向かった自衛隊員数名が何者かに射撃されたニュースがテレビで流れており、後に訂正されたが、実際に亡くなっているとも言われる。, 自衛隊員が自衛隊員を撃ち殺すのは不自然であり、先発で活動していたのは米軍だった可能性がある。, いち早く現場に駆け付けたM氏の証言によると、先発で活動していた自衛隊員は、手に大型のアーミーナイフを持ち、暗視スコープを掛けていたが、当時の自衛隊員の装備にはない。, 事件後の数年間で、多くの航空自衛隊員が自殺に見せかけられて殺されているようであり、危険を感じていると漏らした隊員も自殺している。, 元JALの社員であった佐宗邦皇氏は、墜落原因を、無人標的機に尾翼を攻撃され、最後はアメリカの戦闘機による空対空ミサイルの中性子爆弾によって撃ち落とされたと結論付けた。, 以上を総合すると、事件後早々に活動していた自衛隊は、実は偽装した在日米軍であり、米空軍機が123便を追尾し、最後に撃ち落とした可能性が考えられる。, 河村氏は、先発隊の救助を制止した責任者であり、そこで何が行われていたのか理解したのでしょう。, 似たようなことを、事故調査の陣頭指揮を取り、関係者をすべて不起訴処分とした前橋地検の山口悠介検事正も語ったとされています。, 自衛隊のミサイルという外的要因が疑われるなら、徹底的に調査して闘うはずですが、それをしませんでした。, 全日空機羽田沖墜落事故では、一切自社の過失を認めなかったボーイング社ですが、このときは事件後早々に、原因は過去に起きたしりもち事故時の修理ミスと自ら告白し、それを認めてしまいました。, 過去の対応と比較してもそうですが、訴訟社会である米国の企業としては実におかしな対応を取っています。, 実際JALなどの日本側から、ボーイング社に対する損害賠償訴訟は起こされていないようです。, 高圧的な米国政府さえも、自国の企業を守ることはせず、事故原因を後部圧力隔壁説へ誘導するように本国の, 陰謀論の中では、相模湾の演習で使用していた自衛隊の無人標的機の誤射が原因であり、自衛隊が隠蔽工作を主導したとする説が大勢を占めていますが、今までの検証と以下の点から有り得ないと考えています。, 飛ぶ飛行機を特定し、123便の事故状況を確認し、現場の責任者から制服組のトップや防衛庁長官に情報が行き、総理大臣の中曽根まで連絡が到達し、中曽根が飛行機を撃ち落とすという重大な事項を即断し、早々に自衛隊に追撃を指示し、米軍にも手を回して横田への着陸を阻止し、直ちに現場へ自衛隊員を投入できたとは考えられません。, 普通に考えても不可能であり、甘っちょろい危機管理体制の日本が、急に起きた事象にこれだけ早く対応できたとは到底考えられず、ましてや自国民を抹殺し、証拠の隠蔽を図るなどという大それた決定に、米軍も含めて障害がなかったはずがありません。, また、相模湾に米軍や軍事会社がいたならば、責任の所在で揉めるはずであり、スムーズな意思決定のできる状況ではありません。, 最後のミサイル攻撃や生存者の殺害などは、余計な嘘を重ねる必要が出てくるだけで、考えられない措置でしょう。, ボーイング社が協力してくれるかも分からない状況であれば、まずは懸命に助ける道を模索するはずです。, そして、羽田や横田に着陸できる状況であったならば、それを阻止する理由など、どこにもありません。, 垂直尾翼の破壊も相模湾の演習で引き起こされたものではなく、上空を飛んでいた米戦闘機などから発射されたミサイルか無人標的機で撃ち込まれ、そこから先も, 中曽根康弘は、もしかしたら一部で関与している可能性はあり、他にも協力者がいたはずですが、すべてが米軍主導で行なわれたはずです。, 米軍の救難ヘリが、座間から現場に到着して救助活動に入ろうとしたところ、現場から退去を命じられ、これについては口外するなと厳命されたアントヌッチ中尉の証言がありますが、これはアリバイ作りと、311のトモダチ作戦と同じ構図です。, 東日本大震災では、米空母ロナルド・レーガンが即座に三陸沖に駆け付け、そこから日本への救援活動を行っています。, 因みにレーガンの乗組員は、定員の半数を超える実に二千人以上が被曝し、死者も発生するなど甚大な被害が出て、数百人が訴訟を起こすなど大きな騒動になっていますが、福島では、そもそも原発の側にいた東電関係者に被曝の死者が発生しておらず、福島県内でも騒ぎになるような多数の被曝者はおらず、訴訟なども起きていません。, 比較すると、その割合は明らかにおかしな状況で、しかもレーガン乗組員の被爆発生は、事件から2、3年後に起きているのです。, 、当然原発周辺の人間もただでは済まず、チェルノブイリのように急性放射線障害による死者が発生し、また膨大な, 地震の破壊が複雑な形で3回起き、これは極めて稀で、少なくとも初めてであり、波にも通常では説明できない別のものがあった。, 阪大の准教授が、東日本大震災の余震データを捏造していたことが明らかにされたように、311が, 自然の地震ではなく、戦前すでにアメリカが実用化していた地震兵器だと明確に私は結論付けました。その詳細は以下の記事に譲りますが、, 311震災直後の米軍は、無人偵察機のグローバルホークを福島に飛ばしているようであり、原発や震源地の被害状況を把握していたはずで、震源地近くで被爆した, 空母レーガンは別の指揮系統で、乗組員らは被害者ともされ、放射線被害を訴える姿は紛れもなく被害者ですが、米軍が後に行ったこの放射線被害の隠蔽を考慮すると、, 迅速なトモダチ作戦の遂行は、日本の世論を味方につけるとともに、また隠蔽工作であるとも考えられ、123便もそれと同じアリバイ工作を疑うべきでしょう。, 過去に、機体尾部が滑走路と接触する事故を起こしており、このときの修理ミスが、後部圧力隔壁を引き起こしたと最終的に結論づけられましたが、この便を狙い撃ちにしたと考えれば、すべて辻褄が合います。, また、123便に多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)が貨物として積載されていたのも、中性子爆弾の放射能を隠すため、計画的に積んでいたのでしょう。, 当日行われていた相模湾の演習も計画通りであり、陰謀を疑われた時のために、自衛隊へと罪をなすりつける保険であったと考えられます。, さらにこの事件の年に、ボーイングの子会社であるボーイング・バートル社が、ベル・ヘリコプター社と組んで日本から数兆円規模のオスプレイを受注しており、予めボーイング社に対する保障まで組み込まれていたことが分かります。, ネットでは複合的な説が唱えられていますが、最大にして最高の目的は、以下であったと私は考えています。, その根拠は、アメリカがインターネットを民間に開放した理由と密接に関わっているからです。, この事故で松下は、社員17人だけでなく、家族を含めると総勢24人を失うことになりました。, その中でも、前年に山下社長肝入りで発足した、コンピューターのOA化を図るシステムエンジニアリング本部は、幹部3人を亡くして痛手を被りました。, その理由は、アメリカが軍事技術として確立したWWWを、なぜ民間に開放したかに深く絡んでいるからです。, その詳細は文末の関連記事に譲りますが、ここまで突っ込まなければ、JAL123便の事件は全貌が見えてこないと思います。, プラザ合意を調印させるため、円安に反対していた関西の財界大物4人を全員抹殺し、総理大臣の中曽根と蔵相の竹下登を脅すため。, JAL123便に核兵器が積まれていることをアメリカに突き止められ、証拠隠滅のために自衛隊機が123便を撃ち落したため。, まずプラザ合意に関しては、当時財政赤字と貿易赤字の双子の赤字で苦しんでいたアメリカにとって、円高ドル安に振れることで日本への輸出を有利に進め、またドル建ての対日債権を目減りさせる目論見はあったと考えられ、さらには、円高による日本企業の海外進出、中国の成長による日中対立の促進、日本の産業の空洞化、バブル、そしてその崩壊まで計算に入れていた可能性はあり、墜落事故1ヶ月後に開かれた蔵相・中央銀行総裁会議で、有無を言わさず調印させるための脅しであったことは確かでしょう。, 核や戦争アレルギーのある日本国民に洩れたらただでは済まないことぐらい誰でも分かるはずで、, 更に言えば、アメリカが核の運搬を突き止めたのを、自衛隊はどこでどのように知り得たのでしょうか?, 仮に日本側のスパイが米軍にいて、その情報が短時間で中曽根まで到達したとしても、アメリカがどこまで把握し、どのような対応を取るかも分からず、またすでに秘密がばれているならば、飛行機を撃ち落としても放射能で分かってしまい、逃れられないはずです。, よって、核を隠すという理由だけで、自国民の命を犠牲にする追撃命令を下す可能性は限りなくゼロに近いでしょう。, さらにこの核弾頭を巡る話では、自衛隊機が偵察にきたNSA機、米戦闘機、ロシア戦闘機を撃ち落し、さらに味方の自衛隊機も撃ち落したという荒唐無稽な説を、物的証拠と共に唱えている陰謀論者がいますが、馬鹿げた嘘です。, 少し考えれば分かりますが、プラザ合意の陰謀を主張するならば整合性が取れず、一般人の目撃証言もありません。, また、山下運輸大臣の語った「日本は何でもアメリカの言いなりだからね」の意味や、与えらえれた時間を考えれば有り得ず、戦闘機の残骸である物的証拠は紛い物でしょう。, これも、中性子爆弾の放射能を隠蔽する工作の一種であり、どうしても自衛隊に罪を押し付けたい勢力がいることの証であり、陰謀自体が疑われるように仕向ける工作の一種でもあります。, 事件の真相は単純で、用意周到に事を運んだ米軍の単独犯で、日本は手出しができなかったのです。, 残念ですが、戦後の日本は、アメリカを支配する国際金融資本ユダヤ(ディープステート)にめちゃくちゃにされているのが実情です。, 日本だけでなく、世界も同じように引っ掻き回されており、事実プーチン大統領は、世界で起きているテロ攻撃の95%がCIAによって指揮されていると語っています。, ダグラス・グラマン事件やリクルート事件などで捜査の手を逃れているので、恐らく支配層の息のかかった政治家だと思いますが、この事件で, 事故発生当時、中曽根はアメリカに逆らって救助を行うことができず、事故後も原因を追究してアメリカと事を構えることはできず、犠牲者に見せる顔がなくて訪問を躊躇われたのかもしれませんが、, こういう態度がアメリカに見透かされ、付け込まれ、国民の生命を守れないことに繋がり、現在に至るまで日本が迷走を続けている原因なのでしょう。, そして、日本には本事件の隠蔽に加担する国際金融資本の手先が跋扈しているにも関わらず、それに気が付かない日本人が大半で、亡国への道を突き進んでいます。, 機内アナウンスを担当していた対馬祐三子さんの残されたメモには、不時着を想定した内容がびっしり書き込まれ、最後まで乗客のために尽くしていたことが分かります。, 生存者の一人である吉崎博子さんの証言にも、真っ逆さまに墜落しているときでさえ、近くにいたスチュワーデスが, この声に悲愴感はなく、どうにかソフトランディングし、乗客の命を救おうという意志が感じられます。, そして実際には、墜落後多くの生存者がいたことから、高浜雅己機長、佐々木祐副操縦士、福田博航空機関士たちは、緊急着陸に成功し、乗客を救っていたのです。, と話しているように、睡眠ガスや毒ガスなどを用い、事前に準備し、いち早く到着した米軍によって手を下されたのでしょう。, 「524人の命乞い」という一冊の書籍があります。この事件で身内を亡くされたご遺族が書かれたものです。, 本の内容は、不自然なほど自衛隊に罪を擦り付けていたため、論拠を持った私の説を伝えるため、遺族の会である, ご遺族なら真実を知りたいと思うはずで、新たな視点や新発見を快く受け入れてくれると思ったのですが、, 残念ですが、この本はご遺族が執筆されていない、もしくは何らかの理由で、事故の原因を自衛隊になすりつけていると結論付けざるを得ませんでした。, 本事件を隠蔽できる強大な権力は、ここまでの工作をしてくるのです。 そして戦後の日本は、そんな勢力に支配されているのです。, トランプ大統領は、まさにそのディープステートと闘っており、この本の目的が露呈した形になりました。, 著者が本物の遺族であり、そして心から真実と真相を求めておられるのであれば、誰の主張であろうと、この理不尽極まりない事件を解決したいとする想いに耳を傾けてくれるはずです。, また、元日本航空の客室乗務員とされる、青山透子氏という方も、不自然に自衛隊へ罪を擦り付け、それも堂々と何冊も本を出していますが、, 実在を疑うコメントがいくつもあるように、もし成り済ましやディープステートのゴーストでないのなら、是非私と議論をしてほしいものです。, 我々日本人には、本事件の隠蔽に加担する多くの者たちを炙り出し、糾弾していく責任があるはずであり、それを果たすまでは本当の戦後は終わりません。, https://www.ishigakisou.com/2018/03/123.html, 疑惑 JAL123便墜落事故―このままでは520柱は瞑れない 角田 四郎 早稲田出版, ディープステート戦争屋ハザールユダヤ国際金融資本ロスチャイルド陰謀論イルミナティ新世界秩序シオニスト, トランプ大統領が支持される理由はディープステートと戦っているためである  裏で進む1%人間たちの大量逮捕, ディープステートの正体とは? ユダヤの陰謀論を大富豪ロスチャイルド家から簡潔に説明する, 東日本大震災で隠され続けてきた事実 米軍が戦前に実用化していた人工地震の疑惑を検証する, ディープステートのスパイ・桜井誠が韓国・中国を罵る理由は日中韓経済圏の阻止のため 自作自演の卑怯な集団, 愛国的な日本人のふりをした安倍晋三とネットウヨクの正体 GHQが企んだ日本の間接統治と分断統治, 馬渕睦夫氏おすすめの本「反グローバリズムの逆襲が始まった」 真実にわずかな嘘を混ぜるテクニック, 子供のおもちゃに必ずレゴを採り入れなければならない理由 創造的破壊とビルドアンドスクラップ, 安倍政権にメスを入れ始めた東京地検特捜部は、アメリカ・CIAの出先機関から変わったようである.

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