洗礼者ヨハネ イエス 関係

「イエス・キリストの生涯」(Jesus: His Life)のエピソードと簡単な解説です。2つ目はイエスの先駆け、洗礼者ヨハネについて。(上の絵はレオナルド・ダヴィンチ「洗礼者ヨハネ」), 洗礼者ヨハネはイエスのため道をひらいた先駆者で、旧約聖書と新約聖書をつなぐ存在です。, 洗礼者ヨハネの父親は祭司で世襲制でしたが、その努めを捨て、真実と社会正義を説く預言者となっていました。, 当時のユダヤはローマの属国。ヘロデ大王(イエスの誕生に怯え、2歳以下の子供を虐殺したといわれる王)が死に、彼の息子の一人ヘロデ・アンティパスがガリラヤの領主でした。, 彼の信奉者に、「メシア(救世主)はあなたではないのか?」問われるとヨハネはこれを否定。, 洗礼者ヨハネのアトリビュート(西洋美術における目印)は他に毛皮の衣と十字の杖があります。, ヨハネにとってメシアのイメージは、強い力で世の中を変えてく方で、彼のイメージするメシアとイエスが結びつかなかったのかもしれません。, そしてヨハネの活動はイエスにも影響を与え、イエスは地上での自分の使命を見出していくことになります。, ヨハネは「自分があなたに洗礼を授けるなんて」と躊躇しますが、イエスは「これが正しい」と言います。, ところで洗礼は罪を清めるためのものなに、罪のないイエスを清めるのはなぜでしょうか?, 洗礼を受けたイエスは、イエスが自分の子であるという神の声を聞きます。神と直接交流した事でイエスがキリストの公生涯(公の活動)を始めるきっかけになっており、イエスの洗礼は重要な意味を持ちます。, 洗礼後イエスはナザレを出て、活動を始めます。洗礼者ヨハネのような厳しい言葉を人々に伝えるために。例え命を落とすことになっても。, ユダヤ人に説教をするだけでなく、当時の政治指導者の不道徳を正すため、罪がはびこるガリラヤの都市ティベリアスへ向かいます。, 当時ガリラヤを統治していたのはヘロデ大王の息子の一人、ヘロデ・アンティパスでした。, 特に3番目の、兄弟が生きているうちにその妻と結婚するのは、ユダヤ人の律法に反する行為で、, 当時のローマは、帝国内で問題を起こさなければ何をしても良いという態度でしたが、逆に反乱でも起こせばローマは自分を外してしまいます。, ヨハネは今にも反乱を起こし自分自身の立場を危うくする恐れがあるとみて、ヘロデはヨハネを逮捕します。, ヨハネが民から愛されていること、今までの指導者がユダヤの預言者の助言に耳を傾けてきたことを考え、ヨハネを殺すことは出来ないでいました。, 宴会のさなか、へロディアの娘でヘロデにとっては継子にあたるサロメが、妖艶な踊りを披露します。, ヘロデは躊躇しますが、公の場で誓った事のため、願いを退けることはできず、衛兵にヨハネの首を切らせ、盆にのせて持ってこさせます。, オスカーワイルドの戯曲「サロメ」の7つのヴェールの踊り、のちにリヒャルト・シュトラウスのオペラ「サロメ」でも登場する有名なシーンですね。, 亡くなる前、牢獄につながれたヨハネの元に弟子のアンデレが訪れます(のちにイエスの使徒。ペトロの兄弟)。, アンデレから、自分の後を引き継いだイエスの活動を聞き、「あの方は栄える」「私は衰える」と、自分の務めを悟るヨハネ。, ヨハネがイエスをいつメシアと認めたのか不明ですが、この時もしかしたら確信できたのかもしれません。, そして「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えて下さい」とお願いします。, 天にいます私たちの父よ みこころが天で行われるように地でも行われますように, イエス出現前、人々の罪を指摘し神の言葉を伝え、洗礼を施したヨハネでしたが、自分自身を教祖と認めるように説いたわけではありませんでした。, ヨハネがまいた種は確実に根付き、のちのイエス及び使徒の活躍へとつながっていきます。, ュージカル情報についてゆる~く更新しています。つぶやき少な目。カフェ☕️好きですが、日本茶が1番好き. 御名があがめられますように 御国が来ますように イエス真理教 ⑤ 洗礼者ヨハネとイエスの怪しい関係 二人は仲が悪かった? 暴論です 「 マルコ書 」によりますと、イエスはいきなり青年として登場します。 はじめに この第三章はイエスが宗教者として活動していくその端緒のところを見ます。それはイエスに先立つ 「洗礼者ヨハネ」 との遭遇からとなります。 キリスト教信仰の立場からすれば、洗礼者ヨハネは 「イエスの道を準備した者」 でありそれ以上でもそれ以下でもありません。 洗礼者ヨハネが重要なのは、かれがイエスの親類、おそらくは「又従兄弟」(親同士が従兄弟)だったからではない。史的イエス論では、イエスは誰からユダヤ教を学んだのか、イエスの師匠は誰だったのか、という問いが重要だからだ。イエスは独学だったのか、それとも先生がいたのか。 洗礼者ヨハネが重要なのは、かれがイエスの親類、おそらくは「又従兄弟」(親同士が従兄弟)だったからではない。史的イエス論では、イエスは誰からユダヤ教を学んだのか、イエスの師匠は誰だったのか、という問いが重要だからだ。イエスは独学だったのか、それとも先生がいたのか。 洗礼者ヨハネはなにも文書を残していないという。イエスと同じだ。イエスの弟子たちはイエスの言行を記録したが、洗礼者ヨハネの弟子たちは師匠の伝記を書いたりしなかった。しかし、大貫隆『イエスという経験』によると、洗礼者ヨハネに関する資料は豊富だという。先に挙げた「源泉資料」だ。 洗礼者ヨハネとイエスの関係について考えるとき、いつも、誰でも、疑問に思うのは、イエスは神なのになぜ洗礼を受けたのか、罪人ではないのだから洗礼を受ける必要などなかったのではないか、という問いだ。そしてこの問いは、洗礼者ヨハネは本当にイエスの師匠だったのか、本当にイエスに洗礼を授けたのか、という問いにつながる。だから洗者ヨハネ(という言葉を使ってみる ついこの言葉がでてしまう)は史的イエス研究では中心的テーマの一つになっているのだろう。, a) 洗礼者ヨハネは、ヨセフスの『古代誌』に「『洗礼者』と呼ばれたヨハネ」という表現で登場するという。「しかしユダヤ人のある人々には、ヘロデの軍隊の敗戦は神の復讐であるように思われたが、たしかにそれは「洗礼者」と呼ばれたヨハネになされた仕業に対する正義の復讐であった。」 ヘロデによる洗礼者ヨハネの死刑の時の話であろう。, b) 根本使信 洗礼者ヨハネの根本使信は明白である。それは、「来たるべき方到来のための準備」である。マルコ1・4-7をみてみよう。「洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた・・・わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履き物のひもを解く値打ちもない。」 キリストの到来を準備することだ。やがてイエスが現れる。本当にこの人がわたしが待っていた人なのだろうか、という問いから洗礼者ヨハネの使信は始まる。, イエスの洗礼の話は、マルコ1・9-11,マタイ3・13-17,ルカ3・21 にある。「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた」(マルコ1・9)。「洗礼を受けられた・授けられた」は3人称男性で受動態(受け身形)だという。(注1), b) 洗礼の場所 ヨルダン川のベトサイダ付近らしい(ガリラヤ湖の北西)。根拠はヨハネ1・40-44で、イエスはベトサイダでアンデレとペテロに出合っている。イエスの最初の弟子たちである。, c) イエスは、受洗後、活動を開始する。マルコ1・14に、「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、」とある。洗礼者ヨハネの投獄後にイエスが活動を開始したことは、マタイ11・2,ルカ7・18からもわかる。, 洗礼者ヨハネによるイエスの洗礼に関しては、マルコとルカの間に矛盾があるとか(ルカではイエスの洗礼以前にヨハネは投獄されている)、マタイはイエスが洗礼を受けたことを断言していないとか、プロテスタント系の聖書学者の間では議論があるらしい。この問題は、ヨハネ教団とイエス教団の競合とか難しい問題につながるようだが、それは専門家の議論に任せるにして、われわれは素直に洗礼者ヨハネはイエスの師匠であり、イエスに洗礼を授けたと理解しておきたい。, a) 洗礼者ヨハネは「先駆者」(Vorlaeufer Forerunner)である マルコ1・9 「イエスは・・・ヨハネから洗礼を受けられた」から、教会は洗礼者ヨハネを「先駆者」として高く評価する。, b) だが、洗礼者ヨハネに対するイエスの優位性を強調する。ヨハネ福音書1・8「彼(洗礼者)は光ではなく、光について証しをするために来た。」 イエスの優位性は明らかである。 フルッサーの「救済史の三段階」説というのがあるという(注2)。フルッサーによると、「こうして、イエスは救済史を三つの時期に分けた。第一期は聖書の時代であり、それは洗礼者ヨハネの生涯とともに頂点に達した。第二期はイエス自身の宣教に始まった。天の王国が突入して来た時期である。第三期は誰にも分からない未来における人の子の到来と最後の審判をもって開始する。」 つまり、第一期は聖書の時代、第二期はメシアの時代、第三期は来たるべき時代、で、現在は第二期ということになる。 イエスはなぜ洗礼者ヨハネから洗礼を受けたのか。イエスは「天の王国の突入」が始まることを感じ取り、その備えとして洗礼を受けた、というのが川中師の理解のようだ。では、「天の王国の突入」は、いつ、どこで、どのように始まるのか(始まっているのか)。これは、イエスは宣教の話になる。, c) 洗礼者ヨハネとイエスの使信の相違 とはいっても、洗礼者ヨハネとイエスの使信の違いは大きい。洗礼者ヨハネは終末における「裁き」の告知を強調する。禁欲主義を強調する。ルカ3・9,マタイ3・10だ。「斧はすでに木の根元に置かれている」。 他方、イエスは「よき知らせ」を告知する。洗礼者ヨハネの告知よりもっと肯定的・積極的だ。 マルコ1・14 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」。これは、神の国の到来を知らせる使信だ。「神の国」を「王国」ととるならこれは大変なメッセージだ。 ルカ7・22「・・・死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。」これは貧しい人への福音の告知だ。なにか励ましているように聞こえる。洗礼者ヨハネの使信とは異なっている印象を受けるがどうだろうか。ここからイエスと洗礼者ヨハネとの間に何らかの緊張関係、競合関係があったとみる聖書学者もいるようだが、それはまた別の話である。, イエスはおそらく洗礼者ヨハネのもとで学んでいた。そして彼から洗礼を受けた。やがてイエスは洗礼者ヨハネから離れ、ガリラヤへ向かう。洗礼者ヨハネのもとには多くの人が集まっていた。イエスは弟子を求めてひとりガリラヤへ向かったのかもしれない。この先は、神の国、神の支配、神の王国に関するイエスの宣教の話になる。次回に続けたい。, 注1 聖書ではイエスの言動は受動態で表現されることが多いという。注2 D・フルッサー 『ユダヤ人イエス』 2001 教文館 著者はユダヤ人で、ユダヤ教のイエス研究の史的イエス論への貢献を強調し、キリスト教の反ユダヤ主義の克服を求めているという。. ヨハネは、イエスの活動の最初期から従っていた12使徒のひとり。もともと洗礼者ヨハネの弟子をしていた人物です。兄の大ヤコブと同様気性が激しく、この兄弟はイエスに「雷の子」とあだ名されています。ペトロ、兄の大ヤコブとともに特に地位の高い弟子とされており、イエスに最も愛された弟子ともいわれています。ゲッセマネにおけるイエス最後の祈りでは、彼ら3人(ペトロ、大ヤコブ、ヨハネ)だけが伴われました。, ヨハネは、ゼベダイの子で大ヤコブの弟。12弟子たちのなかでは最年少で、イエスが生きていた当時はまだ10代でした。イエスが最も愛した弟子だといわれています。レオナルド・ダ・ヴィンチの名画「最後の晩餐」では、イエスのすぐ横に座っており、女性のような優しい表情で描かれています。「ヨハネによる福音書」には、その席上で、イスカリオテのユダが自分を裏切ると、ヨハネだけにこっそり教えたとの記述もあります。, ヨハネは兄の大ヤコブと同じく、イエスが栄光の姿へ変容したときや、イエスがヤイロの娘を生き返らせたときなど、重要な場面に立ち会っています。そして、イエスの処刑時には、十字架の近くで、ヨハネはイエスの母マリアとともに立っていました。そのとき、イエスは母マリアに「あなたの子です」と紹介し、ヨハネには、「あなたの母です」と紹介しました。イエスに母マリアの世話を頼まれたヨハネは、その後、マリアとともにエフェソ(現在のトルコ領)に移り住みます。これはヨハネの最大の栄誉といわれています。, ヨハネは大ヤコブと同様、気性が荒く、雷の子といわれながらも、イエスに愛され、最後まで、イエスに従いました。そして、逮捕直前のゲッセマネの園、そして十字架の処刑時にも、その傍らにいました。, ヨハネは、イエスの愛を実感しており、ヨハネの福音書のなかで自らを、「イエスが愛された弟子」と記しています。, ※逮捕されたイエスを追いかけ、裁判で有罪判決を受けるのを見守ったのは、ヨハネとペトロだけでした。また、イエスの墓が空だということを知った際には、ヨハネとペトロはイエスの墓に走って向かいました。そして、ヨハネの方が早く着きましたが、墓に入る際には、ペテロに先を譲りました。, ヨハネは、新約聖書の「ヨハネによる福音書」の著者とされています。紀元90年ころに書かれ、他の3つの福音書に比べて、より神秘的な内容になっています。伝承ではなく、ヨハネが見聞したイエスのエピソードが、独自の解釈で描かれています。, イエスの昇天後、ヨハネはアジアで布教活動を行います。しかし、ローマ皇帝ドミティアヌスによるキリスト教徒迫害が激化し、ヨハネは捕らえられてパトモス島に流されてしまいます。島での滞在中、ヨハネは、さまざまな幻を見ます。それを記録したのが「ヨハネの黙示録」です。「ヨハネの黙示録」は「新約聖書」の最後を飾っています。ヨハネがバトモス島から釈放され、エフェソに戻ってからは、「ヨハネによる福音書」と「ヨハネの手紙1」「ヨハネの手紙2」「ヨハネの手紙3」を著しました。, ヨハネは、紀元100年頃、90歳くらいで天寿を全うします。12使徒のなかで、最も長生きし、唯一、殉教者ではなかったと伝えられています。. イエスに出会った洗礼者ヨハネは、イエスが何者であるかはわからなかったようです。 ヨハネにとってメシアのイメージは、強い力で世の中を変えてく方で、彼のイメージするメシアとイエスが結びつかなかったのかもしれません。 © 2020 カフェ・ド・ミュージカル All rights reserved. 絵画で描かれる洗礼者ヨハネは指を天に向けているポーズが多くみられます。これは救い主の到来を意味しているのだそう。, 『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド・汚れなき瞳』のあらすじ【2020年ミュージカル】, 「さぁ~諸君!よい知らせだ!」ダンスオブヴァンパイア(TdV)2019あらすじ&曲&キャスト紹介, 『ノートルダムの鐘』(ディズニーアニメ映画)ネタバレと結末。カジモドは報われない?, 【再演】ミュージカル『キンキーブーツ』のあらすじ&曲&キャスト紹介※ローラやチャーリーに再び会える!!, エリザベート歴代ルキーニ役(東宝・帝劇ミュージカル)|ストーリーテラー演じる暗殺者, ウエスト・サイド・ストーリー基本情報まとめ【あらすじ、曲、2019~2020年キャストなど】, ミュージカル『ニュージーズ』ってどんな話?舞台あらすじ、曲、2020年キャスト紹介, 『ノートルダムの鐘』(ディズニーアニメ映画)あらすじ、曲、キャストなど基本情報まとめ!, 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