イタリア 都市

(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 伊:Milano/英:Milan。イタリアで最大の都市圏人口を擁する北部の都市。紀元前600年にケルト人の町として始まり、ラテン語で「平原の真ん中」を意味する「メディオラヌム」と呼ばれていた。前3世紀、ローマ帝国の支配に下り繁栄。4世紀、コンスタンティヌス1世がミラノで発した「ミラノ勅令」によって、ローマ帝国で初めてキリスト教が公認される。4世紀、西ローマ帝国の首都となるも5世紀以降異民族の侵入に悩まされる。13世紀、都市貴族ヴィスコンティ家がミラノ公国を成立させ、その首都となる。14世紀、街の中心にミラノ大聖堂の建設が始まり(完成は19世紀)、15世紀には公位を継いだスフォルツァ家による芸術や学問の保護の下ルネッサンスの中心地となり、ダ・ヴィンチらが活躍した。しかしその後スフォルツァ家がフランス、スイス、オーストリアの傀儡となると、16世紀に公国は消滅。16世紀中頃以降スペイン、オーストリア、フランスの支配を経て19世紀、イタリア王国に統一された。第二次大戦では英米軍の激しい爆撃に遭うも戦後急速に再開発が行われ、現在は多くの大企業が本社を構えるイタリア最大の商業都市である。多くの史跡が残る観光都市であり、またファッション・デザインの発信地としても知られている。, 伊:Napoli/英:Naples。ナポリ湾に面した南イタリア最大の港湾工業都市。紀元前6世紀、古代ギリシアによって建設される。都市名はギリシア語で「新しいポリス」を意味する「ネアポリス」が語源だと言われている。ローマ、西ローマを経て東ローマの属州になり、7世紀にナポリ公国が作られる。12世紀、ノルマン人が南下支配してノルマン・ドイツ系のシチリア王国の一部となった。13世紀、動乱に乗じてシチリア王国から分離したナポリ王国が興り、14世紀にはルネッサンスの中心地の一つとなるも、16世紀以降フランス、オーストリア、スペインの支配を受けることとなる。ナポレオン支配後の19世紀、ナポリ王フェルディナンドが返り咲き、ナポリ王国とシチリア王国が合併して両シチリア王国が作られる。同国の首都となったが、1861年にイタリア王国に統一されるとそれ以降は一地方都市に収まった。「ナポリを見て死ね」と謳われるほどの風光明媚な都市で、「ナポリ歴史地区」は世界遺産である。ピザ発祥の地。, 伊:Torino/英:Turin。イタリア北西部の商工業都市。ローマ時代以前に住んでいた「タウリニー人」が都市名の語源である。古代ローマの軍事植民都市として栄え、中世には東ゲルマン人のランゴバルド王国の一部となった。16世紀、フランスに支配されたが、18世紀には北イタリアの名門・サルジニア王国の首都として発展。イタリア王国統一後もフィレンツェに遷都される1864年まで首都だった。第二次大戦では多大な被害を受けるも、戦後フィアットに代表される自動車産業の中心地として発展した。2006年には冬季オリンピックが開催される。イタリア王サボイア家の王宮は世界遺産に登録されている。, 伊:Palermo。イタリア南部、シチリア島西部の北岸の盆地に位置する同島最大の都市。前8世紀ごろフェニキア人が建設。その後、地中海の中心に位置することから、カルタゴ、ローマ、西ローマ、東ローマなど異民族に多く占領され、10世紀にはイスラムに支配される。11世紀には南下してきたノルマン人によるシチリア王国の首都して栄えるなど、フランスとイスラムが融合した独特の文化が芽生える。その後スペインなどの支配に下ったのちの19世紀、両シチリア王国を経てイタリア王国に併合された。第二次大戦では大きな被害を受けるもアラブ-ノルマン様式の建造物は多くが残り、一連の王宮や教会は世界遺産に登録されている。, 伊:Genova/英:Genoa。イタリアの北西部にあるリグリア海に面した港湾都市であり、イタリア最大の貿易港を持つ都市。背後に丘陵地が迫るリビエラ海岸が観光地として有名。前5世紀には商港として栄え、ローマ時代は北部の中心都市となった。衰退後盛り返し、中世には「ジェノヴァ共和国」として海洋貿易で栄え、ベネチアと地中海貿易の覇権を競った。その後オスマン帝国の台頭により植民地を失うも、16世紀、ジェノバの金融業者はポルトガルやスペインへの投資に活路を見出し、新大陸や大西洋岸貿易で繁栄した。19世紀、一時フランスに占領されるもその後イタリア王国に統合される。赤の宮殿を始め、一連の貴族の邸宅などが世界遺産に登録されている。コロンブスの生地。, 伊:Bologna。イタリア北部に位置する都市。前9世紀ごろ、イタリアに古くからいたエトルリア人が作った都市で、「フェルシナ」と呼ばれていた。前2世紀ごろ、イタリア北部の都市を結ぶアエミリア街道が建設され交通の要衝となるとローマ化が進み、そのころには「ボノニア」と呼ばれるようになった。東ローマ、ローマ教皇領となり衰退するが、11世紀に自治都市として復興。1088年、ヨーロッパ最古の大学・ボローニャ大学が創設されると法学のボローニャ学派、絵画のボローニャ派などに代表される学問・芸術の中心地となり、ルネサンス期にかけて文化の都として栄えた。16世紀から再びローマ教皇領。19世紀にフランスやオーストリアに一時占領された後、イタリア王国に統一される。第二次大戦時は米独対決の最前線となった。歴史的建築物や芸術品が多い観光都市である。, 伊:Firenze/英:Florence。イタリア中部に位置する都市。街の名称は「花の咲く植物」の意に由来する。前59年にカエサルによって作られ、4世紀にはキリスト教の司教座都市となる。9世紀から神聖ローマ帝国に支配されるも、12世紀に自治都市となると13世紀、民主制の下成立したフィレンツェ共和国の首都となる。14世紀には絹・毛織物工業、金融業などで繁栄し、人口9万人を数えるヨーロッパ屈指の大都市に成長した。15世紀、金融業で富裕となったメディチ家が実権を握り独裁政治が始まるが、メディチ家の保護の下ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロらが活躍し、ルネサンス文化が花開いた。15世紀末以降、二度ほど市民がメディチ家が追い出すもすぐに復帰し、民主制の共和国は名実ともに崩壊。16世紀にフィレンツェ共和国を引き継いだトスカーナ大公国でも首都となった。18世紀にメディチ家が断絶するとフィレンツェはロレーヌ公国に引き継がれ、ハプスブルク家による支配が続いた。イタリア王国に統一された後は、1865年から(ローマに遷都される)1871年まで同国の首都だった。多くの歴史的建築物が残り、美術館も多い観光都市。「フィレンツェ歴史地区」は世界遺産に登録されている。, 伊:Bari。イタリア南部に位置する港湾都市。アドリア海に面しており、十字軍の時代より東方への出港地として栄えた。もとはギリシャの植民地で後にローマ化。9世紀から東ローマにより支配され、ビザンティン帝国の南イタリアにおける中心都市となった。11世紀、ノルマン人によって征服される。12世紀にはシチリア王国の統治下におかれ、19世紀にイタリア王国に入る。第二次世界大戦中はイタリア海軍の主要な基地となったが、連合国軍に占領されたことによりドイツ軍の空襲に遭った。サンタクロースのもととなった聖人ニコラオスゆかりの巡礼地である。, 伊:Catania。イタリア南部シチリア島に位置し、イオニア海に面する農業都市。シチリア島ではパレルモに次ぐ規模の都市である。紀元前8世紀、古代ギリシャの植民都市として歴史が始まり、3世紀にローマ、11世紀にノルマン人の支配に下る。現在の街並みは17世紀のエトナ山の噴火とその後に襲った大地震による壊滅の後18世紀に再建されたものであり、当時流行りの規則正しいバロック風の街並みが広がる。それらの町並みは「バル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々」として世界遺産に登録されている。, 関連: 世界都市圏別・人口密度ランキングBEST25(2018年度) / イギリスの都市・人口ランキングTOP10 / フランスの都市・人口ランキングTOP10 / ドイツの都市・人口ランキングTOP10 / イタリアの都市・人口ランキングTOP10 / 中国の都市・人口ランキングTOP50 / アメリカの都市・人口ランキングTOP25 / オーストラリアの都市・人口ランキングTOP10 / アフリカ大陸の都市・人口ランキングTOP30 / インドの都市・人口ランキングTOP15 / スペインの都市・人口ランキングTOP10 / 韓国の都市・人口ランキングTOP10. イタリアの都市の一覧です。気になる都市を選択することで旅行ガイドブックのように、その都市のグルメや観光地などの「まとめ」、旅行のプロが監修した「おすすめの歩き方」、話題の「スポット」など、あなたの旅をサポートする情報を確認することが出来ます。 9~11世紀のアラブ・ノルマン王朝時代に最盛期を迎え、この時代に豪華な教会や宮殿がいくつも建てられています。これらの建造物は2015年に世界遺産に登録され、特にノルマン宮殿のパラティーナ礼拝堂は、目がくらむほどの黄金でできたモザイクが有名です。日本語の音声ガイドが付いた市内観光バスに乗れば、街の観光名所が簡単に巡れます。 街のシンボル「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」をはじめ建築物や彫刻など芸術作品が多く残る街並みは世界遺産に登録されています。街には美術館が多くあり、ルネッサンス期の名だたる芸術家の作品を時代ごとに展示する「ウフィツィ美術館」、ミケランジェロ作「ダビデ像」のある「アカデミア博物館」などがあります。, イタリア北東部に位置する都市で、中世にはヴェネチア共和国の首都として栄えました。水の都ヴェネチアといわれ、街の象徴、大運河「カナル・グランデ」が流れています。運河沿いには美しい街並みが広がっており、街の中に入り組んだ水路、多くのゴンドラが行き交い、ゴンドラからは壮麗な建築物を眺められます。美しい夜景と水面に反射する光は幻想的でロマンチック。 また、サンタクロースのモデルとなった聖ニコラの地として、多くの巡礼者が訪れる町でもあります。毎年5月には聖ニコラ祭りが盛大に開かれます。40以上の教会があり、その中でも聖サビーノ教会はロマネスク様式の貴重な建築物として有名です。, チンクエ・テッレは、イタリア北西部のリグーリア海岸に位置します。「チンクエ・テッレ」とは、イタリア語で「5つの土地」という意味。その名の通り、海岸沿いにある5つの村の総称です。人口は大きな村でも1400人、小さな村なら200人ほどで、どの村もこぢんまりとしています。ここはリグーリア海岸に面した険しい海岸にカラフルな家が立ち並ぶ独特の景観によって知られており、1997年に世界文化遺産に登録されました。断崖にひしめくように立つ色とりどりの家とコバルトブルーの地中海とのコントラストはまさに絶景。誰しもが絵や写真で見たことのある風景が広がっています。また村と村との間はトレッキングコースも充実。一番長い10時間30分のコースから、手軽に歩ける30分のコースまであります。眼下に広がる紺碧の海を眺めながら歩くのはとても心地の良いもの。体力に余裕があれば一度試してみては。, ポンペイはナポリ近郊にあり、世界遺産のポンペイ遺跡がとても有名です。現在のポンペイは19世紀になってベスビオ火山のすそ野に新しく作られた街で、約2万5千人の人々が暮らしています。 福岡 ホテル イタリア科学都市 Toggle navigation MENU. シンガポール ホテル ローマはイタリアの首都で、政治と経済の中心地です。市内にはキリスト教の聖地であるバチカン市国の他、国際機関や大企業の本社が立ち並び、約290万人が暮らしています。街の名物は日本でもお馴染みのカルボナーラです。 美食の都として知られており、ボロネーゼソーズ(ミートソース)、ラザニアは日本でもお馴染みですね。2017年にはイタリア全土の食が楽しめるテーマパーク「フィーコ・イータリー・ワールド」(FICOEATALYWORLD)が完成し、ますます食文化に力を入れています。 名物料理のニョッキは、小麦粉とじゃが芋を混ぜ合わせたパスタの一種です。毎年2月から3月頃に開催されるニョッキ祭りは大変盛り上がります。, イタリア共和国のシチリア島南東部にある都市。人口は約12万人(2012年現在・周辺地域も含む)、シラクサ県の県都。古代ギリシャ植民都市のシュラクサイに起源を持ち、採石場跡やローマ円形劇場など歴史的遺跡の観光名所があり、2005年に、市内と周辺の歴史的建造物や遺跡が「シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡」として世界遺産に登録されています。映画「マレーナ」の舞台となった町でもあります。街の中心になるオルティージャ島にあるドゥオーモは、紀元前5世紀に建てられたドーリア式アテナ神殿の上に、7世紀に建立されたもの。A.パルマがてがけた18世紀のファサードが特徴的、入口付近の19世紀の聖水盤や、カジーニ作「雪の聖母像」など、見どころが多い観光スポットです。ネアポリ考古学公園では、岩の天盤が美しい高さ20m以上、奥行き50m以上の洞穴「天国の石切り場」や「ディオニュシオスの耳」、「ギリシャ劇場」、「ローマ円形闘技場」などを見られます。シラクサのレストランでは、新鮮な魚介類を使った料理を食べられます。, トリエステは、イタリア共和国の北東部にある人口約20万人の都市。ここは長い間オーストリア(ハプスブルグ帝国)の統治下にありました。そのため優美で気品あふれるオーストリア風の建物が多く、時に「小ウィーン」と呼ばれるほど。街の中にはいたるところにハプスブルグゆかりのスポットが点在しています。ここに来たらまず訪れたいのはミラマーレ城。町の中心からバスで約20分ほどで到着するこの城は、女性なら誰しも夢見たことのある美しさ。眼下にはターコイズブルーの海が広がり、お姫様気分を味わえます。トリエステの町はこのミラマーレ城以外は観光スポットが市内中心にまとまっているのが特徴。1日あれば十分徒歩で見て回れます。途中道に迷っても海が見える方向が目印。町歩きのしやすい場所と言えるでしょう。またここは多くの国の影響を受けたため、とても豊かな食文化を持つ国。その独特の料理もこの町の名物です。, カターニアは、イタリア共和国のシチリア島東部に位置する都市。カターニア県の県都で、人口は約32万人(2015年現在・周辺地域を含む)。シチリアでは、パレルモに次ぐ第二の都市で、ギリシャ時代から港町として栄えました。カターニアをはじめ、シチリア島の東南部にある8つの町の街並みは2002年に「ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々」として世界遺産に登録されました。カターニアには、美しいシチリアの海とエトナ山という火山があり、歴史、文化、自然にまつわる観光スポットが数多くあります。見どころは、カターニアのシンボルともなっているエトナ山、クラッシックやオペラ好きの観光客に人気のバロック様式のマッシモベッリーニ劇場、ローマ時代の浴場跡が残るカターニア大聖堂、サン・ニコロ・ラレーナ・ベネディクト修道院など。あまり知られていませんが、古代遺跡のローマ劇場とオデオンを訪れれば、2000年前の歴史を感じられます。, ルッカは、イタリア北西部のトスカーナ州にある都市で、ルッカ県の県都でもあります。フィレンツェから電車で約1時間半、ピザから約30分で行くことができます。ルッカの平均気温は日本の東京とほぼ変わらず、秋から冬にかけて降水量が多いのが特徴です。ルッカの街中は城壁でぐるりと囲まれているのが特徴で、、紀元前古代ローマ帝国時代に城壁が築かれたのち、数回壁が作り直され、17世紀に作られた高さ12mあるレンガの城壁が現存しています。旧市街はレンガ造りの建物が並んでおり、細い路地が入り組んでいるので、中世にタイムスリップしたような錯覚が味わえます。高さ約44mあるグイジーニの塔は、ルッカの街並みを見渡せる人気の観光スポットです。海に近いということもあり、新鮮な魚介類を使ったピザやパスタなどのイタリア料理を提供するレストランが旧市街にたくさんあります。, アグリジェントは、イタリア共和国のシチリア島南部の都市で、人口約58,288人(2012年現在・周辺地域も含む)の基礎自治体、アグリジェント県の県庁所在地でもあります。古代ギリシアの植民地としての重要都市であり、紀元前6世紀頃の遺跡が現在も残っていて、1997年に世界遺産に登録されています。20近い神殿遺跡群は、果樹やアーモンドの木が広がる海を見渡す標高320mの丘の上に、現在も「神殿の谷」と呼ばれ残っています。当時は威厳あるドーリア式神殿が、街にいくつも建てられていて、アグリジェントの権威を表していました。保存状態の良いコンコルディア神殿やヘラクレス神殿などの古代ギリシャ神殿群の他、ヘレニズム、ローマ時代の都市遺跡や、前キリスト教時代の埋葬跡なども出土されています。州立考古学博物館に、出土品などが展示されています。, ポジターノは、イタリア共和国南部、アマルフィ海岸の西端にある町。時にブーツの形にたとえられるイタリアの地形で言うと、ちょうど足首あたりになります。このあたりは世界で最も美しい海岸線の1つとも言われており、世界中から多くの観光客が集まる場所。複雑に入り組んだ海岸線を走る道沿いにはレモン畑が続き、その間に小さな町々が見える風景はそれだけで心を癒やしてくれます。ポジターノの特徴は、ビーチのすぐそばにある切り立つような斜面に建物がひしめくように立っていること。それが独特の景観を作り出し、ポジターノを単なるリゾート地以上の存在にしています。また町の小道ではゆったりした地中海ファッションの服やカラフルなサンダルなどを売っていて、見るだけでリゾート感たっぷり。サンダルは自分でデザインを選んだオリジナルのものを手作りしてくれます。1時間程度で仕上げてくれるので、お土産にもぴったりですね。, コモは、イタリア共和国の北西部ロンバルディア州にある都市で、人口約8万4千人(2017年現在・周辺地域を含む)の基礎自治体。コモ湖南端のほとりで、スイスとの国境に位置し、絹の産地として知られています。コモ湖は、ローマ帝国の皇帝が保養目的で訪れたと伝えられるくらい、大昔からヨーロッパ一の避暑地でした。コモ湖西岸は、ヴィラと呼ばれる豪華な避暑用のお屋敷が建ち並び、眺めているだけでも楽しいエリア、ハリウッドスターなどの著名人が別荘を持つ地としても有名です。湖畔沿いには、多くのレストランやカフェが建ち並び、高級ヴィラでは優雅なひと時を過ごすことができます。コモ湖では、遊覧船やゴンドラに乗り美しい景色を楽しむこともできます。コモ市の街中には、ロココ様式のキューポラが美しい大聖堂をはじめ、お土産屋やブティックなどが集まっていて、ショッピングも楽しめます。, イタリア共和国の中部トスカーナ州の地方自治体の一つ。美しい塔が立ち並んでいることで有名な町、人口は7,780人(2017年現在)。街並み自体が、1990年にユネスコの世界遺産に「サン・ジミニャーノ歴史地区」として登録されています。現在では塔が14本残っていますが、中世の時代、貴族や地元富豪たちが競って、権力の象徴であった高い塔を建てました。黄金期には72本の塔があったと言われています。サンジミニャーノは、中世の街並みが色濃く残り、当時の石そのままの建物は時が止まったかのような雰囲気。聖フランチェスコの生涯を描いた映画「ブラザーサン・シスタームーン」は、サンジミニャーノで撮影されました。1237年に造られた井戸のあるチステルナ広場、そのすぐ横のドゥオモ広場にある町一番の高さを誇るグロッサの塔などが見どころ。街中にはお土産屋さんやレストランもたくさんあり、名物の白ワインやチーズ、ハムなどを楽しめます。, パルマは、イタリア共和国北部にある人口約19万人の都市。ミラノ、ジェノヴァ、ボローニャ、ベネツィアと4つの都市のほぼ中央に位置し、観光に便利な都市でもあります。ここは古くから続く歴史ある町。市内はパルマ大聖堂を中心に中世都市の面影を色濃く残します。パルマ大聖堂の「聖母被昇天」という天井画は必見。これはパルマ出身の画家コレッジョが1526~30年頃に書いたという歴史ある作品です。天井までは20m以上あるのでオペラグラスか双眼鏡を持っていくのがおすすめ。その他、世界最古の大学の1つのパルマ大学、ルネサンス様式とバロック様式を併せ持つサンジョバンニ教会など、パルマらしい中世の雰囲気を醸し出す建物が数多くあります。またここは美食の町としても有名。特にパルミジャーノ・レッジャーノやプロシュット・ディ・パルマは世界的にも知られており、多くの名店が立ち並んでいます。, イタリア共和国中部のウンブリア州テルニ県に位置する人口約21,000人(2012年現在)の基礎自治体。ローマから約100kmのところにある昔ながらの雰囲気が残る町で、中世の小さな町をゆっくりと観光できると人気上昇中のエリアです。オルヴィエートの起源は、エトルリア時代まで遡ります。もとは丘の上に建てられた要塞都市で、街は断崖絶壁の丘の上に広がっているので、オルヴィエート駅からは、ケーブルカーに乗り旧市街に向かうことになります。一番の見どころは、ミラノ、シエナの大聖堂と並び、イタリア3大ゴシック建築に含まれるオルヴィエートのドゥウモです。小さな町に不釣り合いとも言える荘厳なドゥウモ、金色に輝くモザイクと細かな装飾が空高くそびえる様は見る人を圧倒します。迷路のように入り組んだ小道は絵葉書で見るようにかわいらしい情景です。緑に囲まれたオルヴィエートは食の宝庫でもあり、多くのレストランが建ち並び、食事と名産の白ワインを楽しめます。, ボルツァーノはイタリア共和国北部にある、人口約10万人の都市。歴史的にはドイツ、オーストリアの影響を強く受けた上に元々の文化であるラディン文化も融合し、味わい深い独特の雰囲気を醸し出しています。ここで有名なのはアルト・アディジェ考古学博物館。ここに展示されているのは、紀元前3000年頃の凍結ミイラ「アイスマン」です。このミイラは世界最古とも言われ、世界的にも注目されています。ここでは当時彼が身に付けていた衣服や携帯品なども多数展示。彼が生きた時代を垣間見られます。自然に恵まれたボルツァーノではトレッキングも楽しみの1つ。やりのような木々が林立し湖面を彩っているカレンツァ湖や、高山植物の可憐な花々が楽しめるカティナッチョ山群など、多くの絶景ポイントがあります。また郊外にはコイラ城やルビーノ城、ベセーノ城などの多くの古城が点在。古き良き時代を現在に伝えています。, ラヴェンナは、イタリア共和国北部にある、アドレア海に面した人口約15万人の港町です。ここは古代ローマ時代から中世にかけて栄えた歴史ある町。中でも「ラヴェンナの初期キリスト教建築物群」は世界遺産登録されています。これらは8つの礼拝堂や聖堂の総称で、すべてに見事なモザイク画が描かれていることが特徴。ラベンナのモザイク画は単なる絵ではなく建物の一部として取り入れられており、それは世界でも例を見ません。そういう意味でも、モザイク画に関してラベンナの右に出る町はないと言われるほど。この8つの世界遺産はほとんど徒歩で見て回れますが、サンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂だけが郊外にあるので、バスに乗る必要があります。ラベンナは一泊すれば見て回れるほどのこぢんまりして静かな町。そんな町に8つの世界遺産を有するとあって、街中はとても清潔で人々も穏やかです。, マテーラはイタリア共和国南部にある、人口約6万人の町。イタリアがよくたとえられるブーツの形で言うと、土踏まずのあたりにこの町はあります。ここでは「サッシ」と呼ばれる石灰質の岩肌に作られた岩窟住居が有名で、「マテーラの岩窟住居」として、1993年世界遺産に登録されました。これはこの地に逃れてきたギリシャ正教の修道士たちが開いた町と言われています。最初はもともとあった洞窟を使っていましたが少しずつ自分たちでも洞窟を広げ、今では迷路のように複雑に絡み合った場所も存在します。そのためこのエリアを観光したければ、案内人は必須。また観光地として整備されていない場所もあるので注意が必要です。一時期ここはゴーストタウン化したこともありましたが、世界遺産登録されたことで息を吹き返しました。制圧を逃れてきた修道士たちの哀しみがそうさせるのか、どこか寂しげで神秘的な雰囲気が観光客をとりこにしています。, マナローラは、イタリア北西部リグーリア海岸にあるチンクエ・テッレの集落の1つ。他の村同様切り立った断崖に囲まれており、色とりどりの家が立ち並んでいます。この村はチンクエ・テッレの中では2番目に小さい村ですが、最も人気の観光名所である「愛の小道」と呼ばれる散歩道があるところ。この有名な散歩道はマナローラから東隣のリオ・マッジョーレを結んでおり、世界中から多くのカップルが訪れます。マナローラのメインストリート沿いにあるのは、チンクエ・テッレの高級ワイン「シャケトラ博物館」。シャケトラは高級デザートワインで、蜂蜜のような香りが特徴のチンクエ・テッレ定番のお土産です。またクリスマスの時期になると、キリストの誕生ストーリーを世界最大のジオラマで再現。それらは町の丘に飾られ、すべてがイルミネーションで光り輝きます。クリスマスの時期にここに訪れたら忘れられない光景に出会えるでしょう。, リオマッジョーレは、イタリア北西部、リグーリア州ラスペツィア県にある人口約1,500人の街です。世界遺産に認定されているチンクエテッレに含まれる5つの集落の1つで、チンクエテッレの最南端に位置します。リオマッジョーレがあるリグリア海沿岸は、一年を通して温暖で冬に降水量が多い地中海性気候です。港から丘に向かって赤や黄色などカラフルな壁の建物が作り出す、リグリア海に面した港町の風景は、まさにポストカードから飛び出てきたような美しさです。崖に沿って段々状にブドウ畑が並んでおり、そのブドウを使った高品質なワインが名産品として街を支えてきました。リオマッジョーレとマナローラを結ぶ崖沿いにある「愛の小道」という遊歩道は、海が一望できる絶景スポットです。, ベルガモは、イタリア共和国北部、アルプスの麓に位置する人口約12万人の都市です。ミラノからは電車で約1時間ほど。ここは丘の上の旧市街であるチッタ・アルタと丘の下の新市街チッタ・バッサからなります。旧市街であるチッタ・アルタは城壁に囲まれ、中世の面影を色濃く残す景観が特徴。反面、美しく整えられたチッタ・バッサは19世紀頃から商工業の中心として栄えました。ベルガモの町はこぢんまりとしていて、1日あれば見て回れます。特にチッタ・アルタの城壁の周りはアルプスが一望できるという絶好の散歩コース。坂の多いこの町の絵画のような風景を堪能できます。風光明媚なベルガモの風景は数々の芸術家にインスピレーションを与えました。ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」はこの町が舞台。また「赤と黒」で知られるフランス人作家スタンダールが「ベルガモの丘はどこよりも美しい」と日記に記したことでも知られています。, イタリア北東部、アドリア海に面する人口約15万人の街で、リミニ県の県都です。世界に5番目に小さな国である「サンマリノ」の玄関口でもあります。夏温かく、冬の寒さが厳しい気候で、長く続く遠浅のビーチは海水浴の季節になるとヨーロッパ諸国からのリゾート客でにぎわっていて、「イタリアのマイアミ」とも称されています。かつては古代ローマ帝国の植民地であったこともあり、街には約2000年前に建てられたという、北イタリアで現存する最古の凱旋門「アウグスト凱旋門」やティベリオ橋など、古代ローマの歴史を今に伝える建造物があります。リミニの郷土料理である無酵母のパン「ピアディーナ」は、リミニのレストランなどで食べることができ、様々な具を挟んで食べるのが定番です。, 東京 ホテル 奇跡の広場といわれる「ドゥオモ広場」は世界遺産に登録されており、ピサが繁栄していたころを象徴する建造物がある。上部がゴシック様式、下部がロマネスク様式で造られた洗礼堂、広場の中心にある白大理石の大聖堂、「ピサの斜塔」として有名な鐘楼、北側には中世貴族の墓所があり、白大理石の回廊が中庭を囲むように建っています。緑の芝生に映える4つの白亜の建物は美しく、多くの観光客が訪れます。, アッシジは緑豊かなイタリア中部に位置し、標高約400mの高台の中にある街です。清貧を説いた聖フランチェスコの生地であり、キリスト教徒の巡礼地として広く知られています。 また、ランボルギーニやマセラティ創業の地でもあります。マセラティのエンブレムは、街のマッジョーレ広場にある海神ポセイドンのトライデントが由来です。近郊には博物館があり、ひと味違うイタリア観光が楽しめます。, タオルミナはシチリア島東部のタウロ山中腹に位置する街で、眺望が素晴らしいリゾート地です。街の眼下に青く美しいイオニア海が広がり、南にはエトナ山(世界自然遺産)の堂々たる姿が眺められます。街の歴史は古く、紀元前4世紀まで遡ります。 イタリア科学都市. 化粧水 Go To トラベルキャンペーン 世界遺産やアラブ・ノルマン王朝時代の建造物があり歴史を感じられる街でもあります。シチリア島の東、タオルミーナはイタリアの代表的なリゾート地として知られており、標高200mの高台にあるため、景色は絶景。古い歴史ある街でもあり多くの観光客が訪れます。, パレルモはシチリア島北西部にあるシチリア最大の都市です。人口は約67万人とイタリアで5番目に大きく、古代から港町として栄えてきました。イワシのパスタや、ナスのカポナータが郷土料理です。 チョコレートの街としても有名で、市内中心部には老舗のカフェやチョコレート店がたくさんあり、優雅なカフェタイムが楽しめます。ビチェリンというホットチョコレートドリンクと、ジャンドゥイオットというヘーゼルナッツのチョコはぜひ味わいたいトリノ名物です。, シエナはイタリア中部のトスカーナ地方にある、中世の面影を色濃く残す都市です。かつては銀行業で栄え、フィレンツェと覇権を競い合うほどでした。現在は約5万人の人々が、この優美な街に暮らしています。 シエナの旧市街には、世界一美しいと称されるカンポ広場や、12世紀から200年かけて建築された壮麗なシエナ大聖堂など、素晴らしい建造物が並んでおり、見応え十分です。1995年に街全体が「シエナ歴史地区」として世界遺産に登録されています。 イタリアの都市(コムーネ)の一覧。(2008年の人口順) 順位 (2008年) 都市名 1981年 1991年 2001年 2008年 州 1. 古代ローマ帝国の時代から約3千年に渡って文化、芸術の面で世界中に影響を与え続け、「永遠の都」とも呼ばれています。どこをとっても絵になる美しい街並みは数々の映画や小説の舞台となり、毎年700万から1000万人もの観光客が訪れます。 イタリアで最大の都市圏人口を擁する北部の都市。紀元前600年にケルト人の町として始まり、ラテン語で「平原の真ん中」を意味する「メディオラヌム」と呼ばれていた。前3世紀、ローマ帝国の支配に下り … ポンペイ遺跡とは古代ローマ時代の港町ポンペイが、西暦79年のベスビオ火山噴火の際の火山灰に埋没してできた都市遺跡です。噴火当時のまま街が残っており、リアルな古代ローマの姿を見ることができるため、年間300万人が訪れるイタリア屈指の人気観光スポットとなっています。 5世紀もの歳月をかけて建築されたイタリア最大級のゴシック建築「ドゥオモーロ」は、エレベーターや階段で屋上へ登ることができミラノを一望できる。「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会」にはレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」が展示されており、博物館や数多くの美術館などでイタリアの芸術を堪能できます。, サルデーニャ島は世界中のセレブに愛されるリゾートアイランドです。イタリア半島の西方に位置し、先史時代からの歴史と独自の伝統、食文化を持っています。 ヴェネチアの中心であり玄関口の「サン・マルコ広場」にはサン・マルコ寺院をはじめ宮殿や博物館、時計塔など見どころが多く、「世界一美しい広場」として多くの観光客が訪れます。, ランペドゥーサ島はイタリア最南端の小さな島です。シチリア島より南方、マルタとチュニジアの間のシチリア海峡に位置し、約5,500の人が暮らしています。イタリア本土からは飛行機で、シチリア島からはフェリーでアクセスできます。 トゥルッリとは白い壁にとんがり屋根がついたユニークな家屋で、15世紀頃が起源とされています。部屋一つにつき屋根一つという構成で、とんがり屋根が連なる村の景色は、まるでおとぎの国のように可愛らしいと評判です。1996年に世界遺産に登録され、年間100万人の観光客が訪れています。 サルデーニャ島は美食でも有名で、スペインやアラブなど異文化の影響を受けたユニークで美味しい料理が味わえます。高級食材カラスミがお手頃な価格で手に入ったり、名産のロゼワインや羊の乳からできたペコリーノチーズは絶品です。, 南イタリア・カンパニア州に位置する街。周囲を断崖絶壁の海岸で囲まれ、狭い土地のため断崖に建物がへばりつくように密集した街。入り組んだ海岸は世界で最も美しい海岸といわれ世界遺産に登録されています。 観光のハイライトは「青の洞窟」です。暗い洞窟に差し込む光によって海面が鮮やかなマリンブルーに輝き、洞窟全体が青く包み込まれます。この神秘的な自然美は19世紀に発見され、以来別の地でも幾つか発見されましたが、カプリ島のものが最も有名です。, アルベロベッロはイタリア南部にある小さな村で、トゥルッリと呼ばれる家屋群で知られています。丘陵地帯に位置し、ローマから鉄道で6時間、州都バーリからは1時間半ほどです。 街の中心にあるウンベルト1世広場には、一流ブランド店やギフトショップが並び賑わっています。また、有名レストランも多く、レモンのお酒リモンチェッロや、トマトとモッツァレラチーズの名物サラダ、カプレーゼは外せない一品です。 神奈川 ホテル 中世の雰囲気が残る街並みは地元で採れた石を使って作られており、薄いピンク色をしています。緑の中に浮かぶバラ色の美しい街並みは、他のイタリアの都市とはどこか違う、静かで穏やかな空気が町を包み、落ち着いて散策が楽しめる街です。 人気の観光スポットは何といってもジュリエットの家。ジュリエットのモデルとされるカプレーティ家の館で、名シーンのバルコニーやジュリエットの像が置いてあり、年間50万人の観光客が訪れます。他に、保存状態の良いローマ時代の円形闘技場アレーナでは、夏季に野外オペラが開かれます。これらを含めた旧市街全体が世界文化遺産です。 関連 : 世界の都市人口ランキングBEST100(行政単位別・2018年度最新版) / アメリカの都市・人口ランキングTOP25 / イギリスの都市・人口ランキングTOP10 / フランスの都市・人口ランキングTOP10 / ドイツの都市・人口ランキングTOP10 / 中国の都市・人口ランキングTOP50, 伊:Roma/英:Rome。イタリア中部に位置する同国の首都であり、人口も面積もイタリア最大の都市である。紀元前9世紀ごろからテベレ川河畔に北方の民族が定住し、前8世紀頃、ローマを建国した伝説上の人物・ロームルスが城壁を作ったと言われる。前6世紀から前1世紀まで共和制ローマ、1世以降帝政ローマの首都。皇帝アウグストゥスの時代には人口100万人を擁する世界最大の都市となった。しかし3世紀以降、西ゴートや東ゴートの支配に下ると政治的重要性を失い衰退。その後ローマは教皇の所在地以上の重要性を持ち得ず、教皇がアビニョン捕囚でローマを出た14世紀には人口はわずか3万あまりにまで減少した。その後教皇が帰還しローマ教皇領の首都に復帰すると、15世紀以降ルネサンス文化の中心地の一つとなり繁栄した。1861年にサボイア王家のもと統一イタリア王国が成立すると、1871年にはローマ教皇領も併合され、ローマはフィレンツェに代わりイタリア王国の首都となった。当時も人口20万足らずの都市だったが以後大きく発展を遂げる。1929年にイタリア国王とローマ教皇が和解し、ローマ市に囲まれるように教皇の居住するバチカン市国が作られた。第二次大戦中に一時首都の座を退くも、戦後イタリア共和国でも首都。ヨーロッパ随一の観光都市だが、公共サービスの停滞やインフラの老朽化が深刻化している。. クレンジング.

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